左から、千代田路子さん、市川泰憲さん

今回は、2020年1月末でレンズメーカー「タムロン」を任期満了で退社された千代田路子さんを訪問しました。千代田さんは、入社以来一貫して広報宣伝部門で活躍されてきましたが、その間広告宣伝や製品のデザインなども担当し、2009年にはタムロンとして初の女性執行役員となり、業界団体であるカメラ映像機器工業会ではCP+での日仏写真コンテストのZOOMSプロジェクトのメンバーを務めるなど活躍されてきました。

この間、写真業界内のメーカー、マスコミ関係者がプロ写真家を招いて撮影会や講評会を行う”業界写真クラブ”で幹事役を務め、日常的にはご自身の写真制作活動を行うなど多彩です。これからは写真家として表現者として活動されていく千代田さんのお考えをお聞きしました。(市川泰憲・日本カメラ博物館)

写真をテレビで見る「フォトビックス」でデビュー

市川 :千代田さんを最初に知ったのは、1985年頃のタムロン「フォトビックス」の発表会でした。フォトビックスというのはネガカラーフィルムを映し込み、ネガポジ変換して写真をTVで鑑賞できるという専用の機器です。

当時はタムロンが交換レンズ以外のカメラ事業に参入するということで、8mmビデオカメラなどと前後して発表したのがフォトビックスでした。その発表会で製品紹介の時にさっそうと登場したのが千代田さんでした。

千代田 :1985年だと30歳の時だから……入社して2年目で、広報として表立ったお仕事を任せてもらうようになった頃ですね。若いですね(笑)。

フォトビックス(1985年)

日本カメラショーにて(1986年)

市川 :実は当時のフォトビックスのデモテープを持っているのですが、千代田さんはそのテープに多大なる貢献をなされているのです。たいへん素晴らしい出来なのです。

千代田 :あっ、それマル秘でお願いしますね(笑)。

フォトビックスで家族写真のフィルムを読み込んで、フォトアルバムの動画を作りませんか? という提案の解説動画を制作したのですが、そこに登場しています。私の幼い頃からの写真が出てきて、それを利用したフォトビデオを作っていくという流れで。

市川 :赤ちゃんの頃から、高校の制服姿までありましたね。

千代田 :よくご存知で(笑)。実はこちらの連載を拝見していて、皆さん若い頃の写真を紹介されていましたので、この写真を持ってきました。小学生の頃からカメラを使っていたのですが、それがわかる唯一の写真なのです。

小学生の頃に教室でカメラを構える千代田さん

市川 :小学生の時ですね。このカメラは何でしょうか?

千代田 :ミノルタだったと思います。小学校の頃に父から貰って写真をはじめました。こちらの写真は大学の写真部で撮影会に行った時のものです。初めて自分で買ったカメラがミノルタのSRTスーパーでした。

大学時代の千代田さん。肩に吊るしたカメラはミノルタSRTスーパー

市川 :お父さんが写真好きだったと聞きました。一時期お父さんの使っていた太陽堂の二眼レフ「ビューティー」で作品作りをされていたのを憶えていますが、千代田さんの歴史を垣間見ることができるとても良い写真ですね。当時のプリントの仕上げが素晴らしい。やはり、皆さんが幼少期にカメラを持たれているという、そういった写真を拝見できるのは素晴らしいですね。

タムロンに入社して驚いたこと

市川 :千代田さんがタムロンに入社された当時、想い出深いことはありますか?

千代田 :タムロンに入社して驚いたことが2つあります。

1つは、工場に行って初めて製品ができる現場を見た時です。手作業だけではないですが、細かな部品が人の手によって、黙々とラインで組み上げられていく光景は圧巻でした。

タムロン弘前工場

2つ目は、技術者がとてもクリエイティブだということです。私は前職でグラフィックデザイナーをしていました。当時はデザイナー、コピーライター、カメラマンなどがクリエイティブな仕事の代名詞のように思っていたものですから、タムロン入社当時に写真レンズの設計部長だった弓木茂孝さんとお話をした時に「設計者ってなんてクリエイティブなのだろう!」と感動しました。

それにあの当時、設計者はドラフターで図面を書いていましたよね。彼らの構想するレンズの性能や機構が図面の中に表現されている事に感動しました。

例えばズームレンズがズーミングする際、レンズ内部ではカムによって光学群が複雑に動作していますが、それを二次元の図面に起こしているのです。そんなことが頭の中で行われているという事に大変驚きましたし、それは今でも同じ気持ちを持っています。以来、技術者に対して尊敬の念を持っています。

市川 :弓木さんには、1972年に、大判4×5用の「カラータムロン」レンズについて大宮に出向き、お話をお伺いしたことあります。

思い出深い製品について

市川 :それでは、千代田さんが本格的に携わっていらっしゃるタムロンレンズのお話を伺いたいと思います。特に思い出深い製品について教えて頂けますか?

千代田 :そうですね、いくつも印象に深く刻まれている仕事がありますが、中でもその一番に挙げられるのは高倍率ズームですね。

市川 :それは28-200mmでしょうか?

千代田 :はい。その初代機である1992年発売のModel 71D(AF28-200mm F/3.8-5.6 Aspherical)です。タムロンの高倍率ズームは現在、専用Webサイトを設けて紹介しています。そこでも71Dの生い立ちは取り上げていますが、このレンズの開発が始まった当時、菱川進社長だったかと思いますが、当時の社長が”タバコの箱を一回転させて出来た円柱のカタチ”、我々はタバコサイズと言っていますが、そのタバコサイズでレンズを作れという指令が、方眼紙を円筒状にしたサイズサンプルと一緒に設計部門にやってきました。

「それは無理なんじゃないか」というのが設計サイドの最初の反応だったようです。当時の常識では考えられない条件でしたから、そこで設計者3人で競作させたという話を光学設計者から聞いています。

市川 :難しい課題には複数人で競作して、より良いモノを採用し反映していく、ということですね。

千代田 :はい、その通りです。競作によって設計の目処が立ったのは良かったのですが、「設計できる」ということと「製造できる」ということはまた別の話になります。工場に設計図を確認してもらうと製造は非常に難しいという回答でした。そこからは設計者と工場の共同作業で1つ1つ問題を解決していったそうです。

そういった壁を乗り越えていく作業も印象的でしたが、私たち広報宣伝部門にとっては「コンパクトなサイズをどのようにアピールするか?」という宣伝の難しさがとても印象に残っています。

市川 :私は、それまでのズームレンズの常識では絶対に製品化できなかったこのレンズにとても衝撃を受けた思い出があります。

と言いますのも、私は当時技術雑誌の編集者という職業柄、どちらかと言えば技術寄りのユーザーでありました。なので、ついつい技術屋さんに理解を示してしまうのです。現状技術至上主義というワケではないのですが、どうもその気があって、現状の技術に対して迎合してしまう。そのことが好ましくないと考えるようになったのが、この71Dが登場した辺りからです。

1つの小型レンズで広角から望遠までカバーできる。そんなレンズをポンと出してきて、世の中にまたたく間に受け入れられました。それは、まさにユーザーにとっては夢のレンズであったのです。それ以来、技術者はできないというようなことを解決するのが大切だと思うようになり、それでなければ技術の進歩はないのではないかと思うようになりました。その考えは今も変わりません。

千代田 :こちらは2代目のModel171D(AF28-200mm F/3.8-5.6 LD Aspherical IF Super)です。ズームリングのパターンが滑りやすいという市場の声を反映して改善しているので、初代と比べて外観が少し違います。

AF28-200mm F/3.8-5.6 Super(171D)とカタログ

初代のレンズは海外のデザイナーを起用して、レーシングカー用の“スリックタイヤ”というトレッドパターンが無い種類のタイヤがあるのですが、そのスリックタイヤと同じ理論を採用して、接地面積を広げることで指掛かりを良くするという狙いでローレットのないTAMRONロゴの突起が配されただけの、つるっとしたゴムリングを採用したのです。171D以降ではTAMRONロゴの突起を強くするなどして指掛かりを改善しています。

“スリックタイヤ”をイメージしたグリップ(171D)

市川 :このデザインのレンズは、当時ほかにもいくつかありましたよね?

千代田 :はい。望遠ズームだとAF70-300mm F/4-5.6(Model 172D)ですとかAF70-210mm_F/4-5.6(Model 258D)、あとSP AF35-105mm F/2.8 Aspherical(Model 65D)など、1992年から1995年頃にかけて発売されたレンズに採用されたデザインです。

高倍率ズームに対して語る千代田さん

市川 :話の時系列を崩して申し訳ないのですが、いま話をお伺いしていて、僕がタムロンで印象的だった製品に、1979年頃に発売されたSP90mm F/2.5(Model 52B)のマクロレンズがあります。タムロンレンズの代名詞とも言える”神話の90mmマクロ”の登場です。一時期は写真をやっているほとんどの人がタムロンの90mmマクロを持っていた、と言っても過言ではないほどの人気でした。

個人的な見解ですが、この1979年は500mmのミラーレンズに、1.4mまで寄れる300mm F5.6、そして90mmマクロなど、名だたるタムロンSPレンズシリーズが登場しています。

千代田 :私は1983年入社ですので直接関わった訳ではありませんが、当時非常に評判の良いレンズだったというのは鮮明に覚えています。当時はまさに「タムロンといえば90mmマクロ」でしたね。

市川 :そうですね。タムロンがレンズ専業メーカーとしての地位を確立したのは、90mmマクロの登場が大きいと感じています。

千代田 :その90mmマクロの後に、タムロンにとって大きな存在となったのは高倍率ズームです。

市川 :先程話題に挙がりました、1992年登場の71Dですね。それ以後どんどん倍率が大きくなっています。

それまでズームレンズといえばヨンサンハチロク(ニコンの43-86mmズームレンズ)や70-200mmなど、望遠レンズもしくは望遠寄りのレンズが「ズーム」としては当たり前でしたが、ワイド側を一気に28mmまで広げて、望遠側も200mmまでもっていったというのは革新的でした。

ところで、1つお伺いさせてください。80年代後半まではユーザーのズームレンズに対する認識と言いますか、イメージというのは「特殊な」と表現するのは適切ではないかも知れませんが、ズームレンズは限られた用途に限定した使い方をするもの、というイメージだったかと思います。タムロンが感じているズームレンズに対するユーザーのイメージが変わった時期や製品というのはありますか?

千代田 :高倍率ズームによって、ズームレンズの利便性の良さが知れ渡ったと思います。そして、F2.8レンズなどの高性能なSPシリーズが出て、ズームレンズは性能が劣るみたいなイメージはどんどん払拭され、より明確にズームレンズが受け入れられるようになったと思います。

市川 :SPシリーズのズームレンズが登場して以後の製品は、画質についてもそれまでのズームレンズとは違うなというイメージが確かにありますね。

高倍率ズームに対して語る千代田さん。中央が広報の青木隆幸さん

千代田 :SPシリーズになると、より画質性能にこだわった設計になっていますので。

71Dは広角から望遠まで、携帯出来るサイズとお求めやすい価格、そして軽さに着目して開発されました。実はそれまでにも高倍率ズームは、世の中には存在していたのですが、大きく重く、性能も褒められなかった。71Dが世に出てすぐの頃は「28-200mmでここまで小さくしているのだから、性能はそれなりだろう」という先入観で、あまり市場の反応は良くありませんでした。特に国内では最短撮影距離2.1mというスペックにネガティブな声が多く、「撮影時にピントが合うところまで下がっていったら溝に落ちた」という冗談が聞こえてきたりもしました。

市川 :当時の200mmレンズとしては普通に感じる最短撮影距離2.1mですが、一方でワイドレンズとしての側面もありますからね。そうすると全域で2.1mというのは確かに心穏やかでないかも知れません。

千代田 :もちろん我々もこの最短撮影距離スペックで満足していた訳では無かったのですが、当時はある程度割り切ってこのサイズに収めたのだと思います。

そして1996年に最短撮影距離を改善した171Dが登場しました。インナーフォーカス方式を採用して最短撮影距離や最大撮影倍率にもこだわっています。それ以降、高倍率ズームは毎年のように登場させる勢いで改善してリリースしていました。

一般的な価格帯で高倍率ズームを製品化しているメーカーは当時少なかったので、タムロンが自社製品を塗り替えていくということを積極的にやっていたのです。すべての性能に満足していたワケではありませんでしたので、次の製品で弱点を改善し、また次の製品で性能を改善していく。それに加えて倍率への挑戦というのもあります。

初代となる71D(28-200mm Aspherical)が7.1倍でスタートして、最新のModel B028(18-400㎜ F/3.5-6.3 Di II VC HLD)ではAPS-C用ですが18-400mmとなり、22.2倍です。さすがにサイズもそれなりに大きく……といってもスペックから想像するよりはコンパクトなのですが。社内でも”倍率のインパクト”というのが、営業的にも宣伝効果的にも最も訴求力があるという認識です。

AF28-300mm F3.5-6.3 LD ASPHERICAL [IF] MACRO(Model185D)は、1999年のカメラグランプリでカメラ記者クラブ特別賞に選ばれた。

ですが「そこまで高倍率は必要ないのでは?」という意見が、実は社内でいつも挙がります。「倍率ではなく明るさを重視すべきだ」など、たくさんのそういった意見がありつつも、国内だけではなく海外も含めて色々な部署や世界中の営業・宣伝の人たちの意見を集めて検討を重ね、それでもやっぱり倍率への挑戦を最優先事項としてここまでやってきています。

市川 :そうなのですね。確かに倍率が持つインパクトと利便性には、購買意欲をそそるものがあります。

千代田 :でも便利だと言われている高倍率ズームにも足りない部分はあります。例えば明るさが足りないし、マクロ性能も足りない。もちろん「ちゃんと」は撮れますが、SPシリーズのような高い描写性能レベルがあるということではない。使いやすさ、携帯性の良さなどを重視して、それぞれの項目のバランスをとったレンズなのです。高倍率ズームで撮影しているとそういった「足りない部分」が分かります。その時に足りない部分を満足してくれるレンズを買い足してほしい。そう考えていたので、「高倍率ズーム1本であらゆるシーンを網羅できる訳ではない」とアピールしていました。

また「高倍率ズームはいわゆる入門レンズではない」とも言っていました。写真をはじめたばかりの人に「レンズ交換しなくてもいろいろな画角をこのレンズ1本で体験できて、何でも撮れるよ」というような利便性に重きを置いた見方もありますが、「撮影に慣れている人が色々な焦点距離の特徴を理解して使うと、高倍率ズームは写真表現の可能性をもっと広げることができるよ」ということも周知したかったのです。

市川 :そうですね。プロの意見や使い方はまた別として、高倍率ズームはやはり便利です。例えば旅行の際に1本で事足りるというのは、とても魅力を感じる部分です。それにデジタルの時代になるとISO 1600やISO 6400などの超高感度領域が特別に不満なく使えるようになってきたわけですから、倍率を優先させたというのは時代にマッチしましたね。

千代田 :いろいろな市場からの声がありましたが、販売数が伸びましたので、どんどん使いやすく、よく撮れるようになったのが評価されたのだと思います。我々タムロンは高倍率ズームの市場を作ったと自負しています。

市川 :こういう時代ですから、お客さん本位の物作りは大切ですね。

鉄道写真と高倍率ズーム

市川 :タムロンが鉄道写真のコンテストを開催するキッカケとしても、高倍率ズームの存在は大きいのでは?と私は考えています。鉄道写真では、ワイドとアップの両方を1本で捉えられることにアドバンテージがあると思っています。

千代田 :そうですね。ただ、このコンテストの設立にあたっては、商品宣伝のためというより、あくまでも地域貢献活動として行うという方針がありました。

市川 :大宮には鉄道博物館がありますから、「大宮にあるメーカーだから、という繋がりで鉄道写真コンテストを主催しているのかな?」と思うかも知れませんが、実際はどうでしたか?

千代田 :「タムロン鉄道風景コンテスト」はここにいる広報の青木さんをはじめとする数人のチームでスタートさせたもので、最初は「”鉄道のまち大宮”に対して、埼玉にある企業のタムロンさん、何か出来ませんか?」というお話がありました。それに対してフォトコンテストが分かりやすいのでは? と考えて企画しました。青木さんがとてもよい仕事をしてくれています。これまで何回やりましたっけ?

タムロン広報 青木 :2019年で12回目が終わりました。今13回目の予定を立てているところです。

千代田 :「タムロン鉄道風景コンテスト」はお陰様で、コンテストを開催していることを社員の皆が誇りに思っていますし、全社を上げて授賞式や展示会もやっています。審査も社内でやっています。

タムロン広報 青木 :現在審査には2日間掛かっていますが、応募総数が8,000枚を超えると3日間掛かると思われますので、そのつもりで企画を進めています。

千代田 :広田(尚敬)先生と矢野(直美)先生に泊りがけで来ていただいています。社内に大きなスペースがあって、そこですべての写真を審査します。並んだ写真を見るのが役員の楽しみになっています。プリントが並ぶ様子は壮観ですし、とても良い写真がたくさんあるので、選ばれる先生方のご苦労は大変なものですね。

市川 :それは壮大ですね!

鉄道風景コンテストの審査をする広田尚敬先生(左)

鉄道風景コンテストの審査風景

千代田 :鉄道風景コンテストを立ち上げてから何年かは私が担当しましたが、その後は青木さんに引き継いでやってもらっています。このコンテストの特長はいくつかあるのですが、1つは「鉄道風景コンテスト」として、鉄道が関係する写真であるなら応募OKとしたので、例えば、切符だけとか、鉄道の絵とかでも良いので、応募する人たちの裾野が広がったこと、そしてもう1つが「小・中・高校生の部」を作ったことですね。

市川 :全国の学校にある写真部や鉄道同好会などにコンテストのお知らせをしているのですよね? 若い世代に向けたアプローチを写真業界としてもやらなければならないので、とても良いことだと思います。

タムロン広報 青木 :鉄道風景コンテストの「小・中・高校生の部」に高校3年で入賞された方が大学生になって、有名なギャラリーで個展をやるというお話を聞いたりすると、感慨深いものがあります。

市川 :いいお話ですね。例えば写真家のハービー・山口さんがされている高校生への活動を通じて、写真の大学に入ってくる子がいるという話に通じるものがありますね。

千代田 :すごくちっちゃい子からの応募もあります。

タムロン広報 青木 :昨年は6歳のお子さんが入賞されています。その前年に同じく6歳の子が「小・中・高校生の部」の大賞に輝いています。

市川 :それは凄い!

千代田 :デジタルになってカメラの操作が簡単になったので、お子さんでも簡単に写真を楽しめるようになったという事が大きいですね。小さい子たちの写真は凄く楽しくて、広田先生、矢野先生も喜んでくださっています。

鉄コンの立ち上げから開催までとても大変で苦労も多かったですが、今では私達の宝になったと思っています。5年続けてやっと手応えを感じることができて、10年続けられて会社の大きな財産になりました。

市川 :鉄道の写真には魅力がありますね。私が若い頃に「鉄ちゃん」と呼んでいたアマチュアの方々が今や50代、60代ですが、現在も鉄道写真を続けられています。皆さん非常に上手でして、シーンによってはプロよりも多くの時間とお金を掛けられるアマチュアの方が、より良い瞬間を捉えることができたりと、大変な分野の写真だなと感慨深く見ています。

千代田 :一時はマナー問題が取り沙汰されましたが、多くの方は鉄道と鉄道写真を愛してくれています。もちろん鉄道写真に限らず、マナーの問題は風景写真などいろんな分野であるかと思いますが。我々もWebサイトで啓蒙活動は続けています。

市川 :マナー問題は一部の出来事が全体の出来事のように受け止められてしまいますのでね。難しい問題でもあります。

ブロニカRF645と千代田さん

市川 :千代田さんとのお付き合いの中で、印象深いことがありました。それはあるとき千代田さんがライカM6を使い始めたのです。千代田さんはそれまで一眼レフで撮影を行われていたので、てっきりご自身の作品撮影のためにM6を選択されたのだろうと思っていたのですが、時間がたち蓋を開けてみれば「RF645の開発にあたってレンジファインダーカメラの基本的なところを自分で経験してみたい」ということでレンジファインダーカメラを使い始めたというのが真相でした。

レンジファインダーカメラのブロニカRF645(2000年)

千代田 :はい、レンジファインダーカメラを勉強したいと思いM6を選びました。その当時、菱川社長の時代だったのですが、ご存知の通りタムロンはブロニカを吸収合併しました。菱川さんは「カメラを作りたい」という社長としての夢を持っていましたし、ブロニカブランドをより良くしたいという強い想いもあり「タムロンとして、ブロニカブランドのカメラを発売する責任がある」という方針を打ち出し、カメラ開発のプロジェクトが動き出しました。

私はそのプロジェクトメンバーに選ばれ「どういったカメラを作れば良いのかリサーチせよ」という指令がありました。開発候補として、レンジファインダータイプが有力視されていました。それまで私は本格的にはレンジファインダーカメラを使っていなかったですし、また中判カメラについても未経験でした。それで選んだのがライカM6とマミヤ6でした。

そして、正式にレンジファインダーの中判カメラでいくことが決まりました。その当時は90年代の終わりで、高級コンパクトが各社からリリースされている頃でした。

ところで、ブロニカが昔小さなレンジファインダーのカメラを試作したことはご存知でしょうか?

市川 :ブロニカVX-1とVX-2ですね? レンズシャッター式でレンズ交換可能な、とても小さな35mmのカメラですね。1980年のフォトキナで試作品が発表されましたが、発売はされなかったのは残念です。実はもう1台VX-300というのもありましたね。

千代田 :その通りです。ご覧になりますか?

市川 :ぜひお願いします。

超小型レンズ交換式レンジファインダーカメラのVX-1

量産試作でシリアルナンバー1番のVX-1

市川 :素晴らしいですね。私は当時、開発責任者の安藤義一さんの所へ詳細を教えてもらおうとお伺いしましたが、電子回路が何千とできあがっているけど、ミノルタCLEがあるから断念したと残念そうにお話しくださったのを覚えています。

千代田 :ブロニカのメンバーから聞いたことが有りますが、確かに量産試作まで進めてフォトキナで展示したそうですが、他社から発表されたカメラが影響して、当時の経営者層の判断で発売を見送ったという事情があったそうです。

市川 :技術者が一生懸命やったとか、企業として開発資金を投下したということでなく、量産中止の判断をその時点で下せるということは、さすがですね。その1980年は、ライカの代理店がシュミットから日本シイベルヘグナーに移り、一眼レフのライカR3が登場した時ですね。

千代田 :それはたしかに分かります。でもVX-1は可愛いデザインで今見ても魅力を感じますよね?

ここでVX-1のお話をしたのは、RF645の原型と言いますか、デザインのルーツはVX-1にあるからです。

市川 :確かにレンジファインダー機ということで、ファインダー窓、距離計窓という基本スタイルは同一ですね。

ブロニカRF645(左)の原点となったブロニカVX-1試作機(右)

千代田 :これは「デザイン的なセンスで商品を見なさい」という方針の下に当時の我々の宣伝部門がプロダクトデザインコンペをして、このデザインが採用になりました。

編集部 :そのデザインコンペというのは、カメラの外観デザインの事ですか? それとも商品計画全体まで及ぶものだったのでしょうか?

千代田 :プロダクトデザイン開発のためのコンペでした。設計チームが設計をしながら新しい外観デザインを生み出していく余裕が無いという状況でしたので、我々が外観デザインのコンペを主催して、開発チームと協働したのです。

ブロニカRF645は、カメラグランプリ・カメラ記者クラブ特別賞を受賞(2001年)

市川 :そうでしたか。それで、千代田さんはRF645をかなり使い込んでいたのですね。

千代田 :はい、だいぶ使っていました。はじめはRF645の試作品ができ、発売の目処が立ってからは宣伝のために製品への理解を深めるという目的もありテストで使い始めたのですが、RF645で撮影したポジを見た時に感動してしまいました。35mmを見慣れている目に645のフィルムサイズは新鮮で、しかも露出の具合がすごく好みで、いっぺんにRF645の虜になってしまいました。その時使っていたアグファのフィルムもいい色だったんですよね!私が写真で作品制作を再開するキッカケになったカメラです。

市川 :ご自宅の近所の風景を心象的に撮り、地名をタイトルにされていましたよね?

千代田 :はい、下内間木です(笑)。そんなこともありブロニカRF645は公私ともに思い出深い製品になりました。そして、その当時、このカメラを多くの写真家に使っていただいたのですが、RF645セミナーでお世話になった写真家の曽根陽一さんの写真クラブに個人的に参加しましたね。曽根さんの作品がとても好きで、ずいぶんと勉強させてもらいました。それで、写真展までできたのだと思います。写真展をやろうと決めた時、市川さんにポジを見てもらったことがありますけど、覚えていますか?

市川 :はい、もちろんです。

市川さんとタムロンの思い出

市川 :ところで今回、私が初めて買った交換レンズというものを持ってきました。当時一眼レフを買ってそれに使える交換レンズがどうしても欲しくて、高校生の時にアルバイトしてやっと買ったのがタムロンの200mm F/5.9(FO-59)です。たしか1963年頃に発売されたレンズになります。

そのレンズを大学生の時にいじり壊してしまいまして、タムロンにどうしたものかと電話をかけましたところ住所を聞かれまして、当時高井戸に住んでいたので「杉並区の高井戸です」と答えましたら「西永福に社員が住んでいるからそこに届けてくれ」と言われました。それが池田さんというお宅でした。

タムロン200mm F/5.9の思い出を語る市川さん

千代田 :あ、池田佳津男常務ですね。

市川 :そうです。電話で「届けてくれ」と言われてよく分からないままレンズを持っていくと、池田さんのお母様が応対してくれまして「ウチの息子がいる会社の製品だ」と。タムロン自体は昔から大宮にありましたので、そこまで自分で送るものとばかり思っていましたが、修理の受付も受け取りも池田さんのお宅でやるという、今では考えられないおおらかな時代でした。「大宮に届ける」と言ったら「社員が近所に居るから大宮まで来なくて良い」って言うのです(笑)。学生時代から、フレンドリーな親しみやすい会社だという印象がタムロンにはあります。

僕だけがこういった体験をしているのかな?と思っていましたら、何とそうではなかったのです。元リコーの藤森さんも学生時代にタムロンレンズを壊してしまって、電話で修理をお願いしたらやはりご近所にタムロン社員がいらっしゃったようで、自宅まで受け取りに来てくれて、修理を終えたレンズをまた持ってきてくれた、という話をしていました。やはり1960年代のことですね。

千代田 :面白いお話ですね!

市川 :当時、そういった企業の姿勢にとても親近感を覚えました。

デザイナーとしての関わり

市川 :元々デザイナーでいらっしゃる千代田さんは広報・宣伝というお仕事以外にデザイナーとして何か関わっていらっしゃったりするのでしょうか?

千代田 :デザイナーのキャリアを活かしてということではないんですが、我々の部門は宣伝広報だけでなく、商品企画業務も営業や開発部門と一緒になってやっていました。今は独立した商品企画部門がありますけど、企画検討には引き続き参加していると思います。その理由は、お客様や写真家などユーザーの意見を社内に伝えるという役割を受け持っていたことが挙げられます。

写真家から社内で最も意見をもらえるのも私達ですし、カメラ雑誌の編集部さんに製品を持っていくと、編集部の皆様だけではなく読者の方々から集められた意見などたくさんの声が集まります。それらをまとめて開発や営業に提出していたのです。

そのような背景がありましたので、設計ではない立場で、製品に対しての不満や改善点であったり、市場からどんな意見が想定されるか?というような事について、意見を言うようになっていきました。開発方針は企業活動の中心的なテーマなので、私も製品についてはとても興味を持って見ていました。

市川 :他の企業では、広報宣伝部門いえば広報と宣伝に一生懸命という印象で、タムロンのように広報宣伝と開発との距離が近いといいますか、伝達の速い企業というのは珍しいように思います。

千代田 :タムロンは規模の小さな会社ですので、それが可能になっているのだと思います。

市川 :規模が小さいとのことですが、タムロンは海外の部隊と会議をよくやっていると聞きました。

千代田 :ブロニカを吸収合併した辺りから、なので20年くらい前からです。日本市場の意見ばかりではなく海外の声も大切にすべしという号令が出たことで、海外の営業さんたちなどから現地ユーザーの声を集めて、どんな製品が望まれるのか?を話し合いました。現在では欧米にしろアジアにしろ、海外マーケットが年々伸びています。

つまり世界で売っているので、世界の声を聞かないとダメでしょ、ということです。宣伝についても今までは本社、つまり日本だけで考えていましたが、全世界から意見を聞いてやるようになっています。例えば、タムロンのレンズカタログは数年前にリニューアルしたのですが、この中身はドイツデザインなのです。

ドイツデザインのカタログ

市川 :ドイツでデザインされたものを日本語に翻訳したということですか?

千代田 :レイアウトなどのデザインをドイツでやって、原稿は日本語で、ローカライズは日本語原稿を現地で翻訳してもらっています。それまでのカタログとは写真と製品の見せ方が異なっています。

コンペもやっています。過去にはアメリカとドイツと日本でカタログのデザインコンペをして、一番良いものを採用、という感じで実施したこともあります。最初のドイツデザインは、ドイツの法人から「こんなのどう?」という感じで提案が来て、チェックしてみると構成がよく考えられており、デザインも優れていたので「良いね〜」と、そのまま採用になりました。

市川 :現地法人の考え方、タムロンという会社に対する思い入れというのもだんだんと変わってきた、ということですか? 例えば「仲間意識」のようなものに。

千代田 :そうですね。本社-現地法人という関係でなく、チームという考え方ですね。ですので、意見の交換はより積極的になったと思います。こちらも現地法人の意見をとても大切にしています。というのも、現地法人が営業して売ってくれないと会社は成長できません。本社が勝手に意思決定して、それを現地法人に「売ってくれ」ではダメなわけです。

市川 :そういう時代なのですね。

千代田 :その通りです。みんなの意見を聞きながらバランスを取りつつ、チームでものづくりをして販売しよう、という考えです。タムロンでは「チーム・タムロン」というスローガンをずっと掲げています。チームで良い仕事をしようと。

タムロン広報 青木 :社歌にも載っています。

千代田 :チーム・タームロン⤴、という感じで入っています。創業者が作った歌詞です。

タムロン広報 青木 :こちらが社歌です。

チーム「タムロン」♪と歌われているタムロン社歌

編集部 :これは載せても大丈夫ですか?

千代田 :マル秘ではありません(笑)。

市川 :これは社員向けの手帳ですね、原作が新井健之さん、創業者ですね。

千代田 :チームという言葉は社内でよく使います。ATMというのもウチならではの言葉かも知れません。A(明るく)T(楽しく)M(前向きに)。鰺坂社長からの社員へのメッセージです。

話を戻しますが(笑)、タムロンにはいま7つの海外販売拠点がありますが、それぞれのトップを集めて全世界の宣伝会議をやるようになって、とても勉強になりました。例えば同じアジアでも中国とインドでは、市場が違います。各現地法人から欲しいレンズを聞いてみると全然違うので面白いです。

“親近感”をもつレンズデザイン

市川 :お話を伺ってみて、また自身の経験に通ずるところもありますが、タムロンにはどうも親しみやすさのような印象を、製品だけではなく会社からも感じてしまいます。

千代田 :デザイン開発の際に操作性の良さ、質感の良さなどの追求のほか愛着を持ってもらえるデザインということが課題に上がりますので、親しみやすさというのも大切な要素ですよね。

親しみやすさといえば、タムロンは価格についてもお求めやすさということを開発の大きな課題としていると思います。

例えばSP 70-300mm F/4-5.6 Di VC USD(Model A005)という市場に受け入れられたレンズがあります。この製品でも「お求めやすい価格」というのは拘った部分で、あの性能をあの値段にまとめたからヒットしたのだろう、と思いますね。製品を安く作るというのではなく、戦略的に数量を多くして単価を下げるという手法で実現したのですが、ファミリー向けにスポーツ撮影のニーズがあるとわかったので、そこに受け入れられるには?という発想で「お求めやすい価格」を達成するための開発方針に対する経営判断があったと思います。ソニーEマウントの28-75mm F2.8 Di III RXD(Model A036)もそうですね。

安い製品は良くない、と思われがちですが、そうではない。お求めやすい価格だからまず買ってほしい。戦略的に安い価格に挑戦するテクノロジーをタムロンは持っています。例えば単焦点レンズは、もう少し明るくしてほしいという声はありますが、ホンの少しだけ明るさをがまんすることでコンパクトなサイズとリーズナブルな価格を実現できそうならそちらを製品化する。「手が届く」ということを大切にしています。

最近発売されましたEマウント用フルサイズ対応F2.8の単焦点広角レンズシリーズの20mm F/2.8 Di III OSD M1:2(Model F050)、24mm(Model F051)、35mm(Model F053)の3本は、その特徴が強く出ています。しかも最大撮影倍率1:2まで寄れますので、撮れる世界がグッと広がる。より明るくすることも製品化の手段としてありましたが、そうすると大きく重くなり、そして高価になりがちです。それはそれで別なタイプの魅力的なレンズができるでしょう。しかし、今回の開発コンセプトは、買いやすくて、実際に使う時に世界が広がる性能を持たせることで写真の表現の幅が広がれば良いなと思ったのです。

明るいレンズは他社さんにもありますし、いわゆる純正レンズにもあります。そこで真っ向勝負するのではなく、タムロン独自の魅力を持たせようとすることで、例えば高倍率ズームを開発した時もそうですが、他社さんと競合ではなく、共存・共生するという戦略をとりたいと思っています。他社さんのレンズと一緒に使って欲しいという考えで、商品企画されているんだと思います。

市川 :大艦巨砲主義というワケではありませんが、性能を重視するレンズとお手頃だけど良いレンズ、どちらにもニーズがあるものです。共存・共生とは素晴らしい考えですね。

千代田 :必ずしも競合して勝ち進んで行くことだけが手段ではないので、一緒に生きていくというやり方があっても良いと思います。

ですので、デザインのそろったレンズが充実してきて、ハイスペックだけどお値段の手頃な28-75mm F/2.8 Di III RXD (Model A036)のようなレンズが出てきて「タムロンってこういう会社なんだ」ということが、ここ数年で少しずつ伝わってきたのかなと思っています。

市川 :ところで、最近発売されたEマウントの17-28mm F/2.8 Di III RXD(Model A046)を使いましたが素晴らしいですね。当たり前のように開放でドンドン使えますし、しかも今までの高性能ズームの概念を覆す細身なボディが魅力です。一時期は供給が間に合わないとお詫びのアナウンスもしていましたね。

千代田 :ありがたいことにヒットしまして、2本ともめちゃくちゃ売れている状況です。私はタムロンレンズのヘビーユーザーなのですが、最近この17-28mm F/2.8(Model A046)レンズも新たに加わりました。小型なのでAPS-Cカメラにもすごく使いやすいですし、写りに信頼感があります。

ブランドビルディングと千代田さん

市川 :千代田さんが最後に表立って関わったお仕事について教えて下さい。

千代田 :SPレンズの大幅な改善をスタートとし、ウェブや広告、ロゴ変更までを含むブランドビルディングが、私の最後の大仕事になりました。最初に取り組んだのはSPレンズシリーズの改善でした。性能、品質などの見直しも行いましたが、我々の部門は開発チームと一緒になり、外観デザインの開発を行いました。SPは歴史が古く、1978年のフォトキナで発表されて1979年に発売されました。昨年がちょうど40周年でした。

それで、外観デザインの話ですが、2015年にSP 35mm F/1.8 Di VC USD(Model F012)とSP 45mm F/1.8 Di VC USD(Model F013)の2本を皮切りにデザインを一新しました。それまでSPシリーズには金のリングがついていました。タムロンとひと目で分かるデザインでした。

タムロンとひと目でわかる金リング

このデザインが開発された当時は、評判も良かったのですが、カメラがとてもシンプルにスタイリッシュになってきている昨今においては、ユーザー様からの様々なご意見を勘案すると、この金のリングがデザイン的に受け入れられなくなってきたと判断されました。社内的には「ひと目でタムロンレンズと分かる」ということで金リングを残したいという声もあったのですが、市場のニーズと必ずしも一致しているわけではなかったので、当時の社長から「デザインを新規開発すべし」という指令がありました。

そして、金リングのブランド・アイデンティティを残しつつ全く新しく開発されたのが現在の新デザインになります。

SP 35mm F/1.8 (Model F012)とSP 45mm F/1.8 (Model F013(2015年)

市川 :代官山で発表会を大々的にやりましたね。

千代田 :当初は新デザインを採用したレンズが少なかったので、デザインのコンセプトが伝わりづらかったと思いますが、現在ではかなりの本数がそろってきました。レンズを並べてみますと、レンズの大きさによらず、裾部分の低い位置にある新しいブランドアイコンであるリングが見た目の統一感をアピールしてくれます。レンズ上部に配置されていた金リングでは、レンズのサイズによって金リングの位置がまちまちになります。

新ブランドデザインされたタムロンレンズ

新デザインではこのようにタムロンとしてのレンズの統一性が採れて、しかもカメラに装着して構えるとほとんどこのリングは見えなくなり目立ちません。

市川 :手がちょうど被さるようなカタチになるのですね。

千代田 :「金リングが目立つことが気になる」という意見もありましたので、レンズ単体でこのリングによって、タムロンレンズデザインの特長を出し、しかしカメラに装着して撮影する段になると控えめになるというコンセプトになっています。

ここはブランド・アイデンティティに関わる部品なので、微妙に違う色のリングの試作を多数作って決めました。色の振れ幅の限度見本でばらつきを管理するなど、このリングのデザインを大切にしています。

デザイン開発自体の進め方、外部デザイン会社との仕事の進め方なども一新して改善されました。それまでは、レンズ設計と機構設計ができたら、外側だけデザイナーにデザインしていただく、というカタチでしたが、現在では設計の初期段階、それこそ機構設計の段階からデザイナーがデザインに関わるようになっています。またデザインだけでなく、機能や性能、光学の仕様に至るまであらゆる部分について見直しがなされ、より厳しい基準へと移行しています。

レンズを持った時や操作する時に「手のひら」や、「親指の腹」があたる部分には馴染むようなアールを付けて、掌の触感を大切にしています。スイッチ類はすごく指掛かりがいいと思います。あと、キャップ類も。それからフードの取り付け部とか細かなところも統一されたデザインで作り込まれていますね。

モックが上がってきた時に、見るからに作り込まれたデザインだなと、デザイン会社の非常に高い能力を感じました。

Takramさんという会社なのですが、キーワードとして「デザイン・エンジニアリング」を掲げていて、”デザインとエンジニアリングが互いに乗り入れる”という意味があります。私はこの言葉に惹かれたことがTakramさんに連絡するキッカケとなっています。

先ほどもモックアップの話をしましたが、デザインが出来てTakramさんからモックアップがタムロンに届けられたのですが、そのモックの精度が本当にすごい精度で、新しいデザインの出来にワクワクしましたね。もしかすると他社さんでもそのクオリティでモックを作っていたのかも知れませんが、タムロンとしては初めて体験する精度のモックで、本物ソックリでした。そのモックがあって、そこから現実的に作り込んで行くのですが、製品はモックと瓜二つになりました。そうしたらTakramさんも「こんなにモックに忠実に製品化してくれた会社は今までにない!」と感動してくれました。それが35mm F1.8(Model F012)です。

最初にお話ししたように、SPシリーズの刷新はタムロンにとってのブランドビルディングプロジェクトのスタートになりました。同時に化粧箱、Webサイト、広告、カタログ、展示会ブースと製品に近いところから順番にリニューアルしていったのです。

そして、その仕上げとしてタムロンのコーポレートロゴのデザインについても一新することになっていましたので、2017年2月20日から新デザインのロゴへと変わりました。2015年の刷新時からレンズにプリントされているTAMRONのロゴは新デザインとなっていますが、この段階ではコーポレートロゴではなく”ブランドロゴ”としての扱いで、説明書などでは従来の馴染みのあるロゴがあるという状態でした。コーポレートロゴを変更するには色々とルールの変更など手順がありましたので、新しいSPシリーズの登場から約2年の時間をかけて新デザインのブランドロゴをコーポレートロゴとして1本化しています。

編集部 :プロダクトデザイナーがレンズ設計の初期から関わるようになって変わった点には、例えばどんな事がありますか?

千代田 :出来あがった機構設計に表面的な外観デザインをのせるというのではなく、使いやすいサイズや形状、美しい形に合わせて機構設計を行う、デザインと設計がせめぎ合う形でレンズを作るようになっているのではないかと思います。レンズ鏡筒を横から眺めた時の曲線の出方、フードの質感に至るまで意匠を凝らしています。

編集部 :確かに、どこを見ても「抜かりがない」印象があります。フードだけ気が抜けてしまった、というような事もありませんね。

千代田 :私たちは広報・宣伝という仕事をしていますが、製品の特徴をお客様に伝えるためには製品の事を深く理解しなければなりません。もちろん私たちは開発専門ではありませんので「宣伝の立場として開発に関わる」という意味ですが、例えばいろいろな方々に意見を聞いてそれをフィードバックしたり、実際に手に触れた時や操作した時の感触、いわゆる”官能性”についての口出しですとか、そういったことで製品開発に関われるようになり、製品への理解が大きく深まりました。

市川 :官能性といえば、加工精度が著しく高くなったという印象があります。スムーズなピントリングの操作感などは、高い加工精度がないと達成できませんね。

千代田 :はい。開発部門でないので、かえって好きなことが言えました。設計同士だとお互いの仕事に対して理解がありますので、指摘しづらかったりすると思いますが、私たちは「この感触はナイ」など時に歯に衣を着せず言ってましたね。違う部門だからこそ言えることがある、というものです。

広報宣伝部門は皆がそれぞれ製品開発に何かしら関わる機会が多いですし、開発が進んで改善する過程を見ていますので、製品への愛情と言いますか理解が深くなっています。ある日製品を渡されて「じゃ紹介して」というワケではないので、皆で一緒に開発しているという気持ちを共有できていると思います。チーム・タムロンという社風のあらわれですかね。良い点だと思いますね。

編集部 :タムロンさんは顔が見える企業だな、という気がします。

タムロンと写真

市川 :一般ユーザーとの接点ということでは、千代田さんはブロニカクラブの事務局長を務めたこともありますね。

ブロニカクラブ会報より

千代田 :会員の皆さんと、撮影をご指導いただく写真家の先生とともにいろいろな場所へ行きました。

風景写真家・青野恭典先生とのブロニカクラブ撮影会

市川 :顔が見える会社、という話が出たところで、タムロンさんは鉄道風景コンテストをはじめとして写真に対して興味のある会社という気がしています。もちろん他のメーカーさんが写真に興味が無い、そういった活動をしていないというワケではなく、私が学生時代に感じた「親しみやすさ」という点を考慮に含めずとも、会社全体が写真を好きである、という意味です。

千代田 :2012年にケルンで行われたフォトキナでは、日本写真家協会の『POST-TSUNAMI 生きる』写真展をタムロンとして協賛しましたが、私の関係したイベントとしては記憶に残るもうひとつの達成感のある仕事でした。

「生きる」写真展にて挨拶を述べる実行委員長の菅洋志氏と日本写真家協会会長の田沼武能氏(いずれも当時)、2012年フォトキナ会場にて。市川さん提供

「生きる」写真展会場に集まった日本の写真ジャーナリストと千代田さん。市川さん提供

千代田 :タムロンは写真を楽しむことにとても理解があり、社員に写真を奨励しています。私が顧問になってから、年に3回程度ある社員向けの写真講習会のお手伝いをしています。講師は写真に詳しい社員で、資料を作ったりしました。だいたい1度に50人から100人くらい参加するんですよ。

タムロンは写真業界で活動している、いわば写真の会社ですので、社員皆が写真を好きになると会社も良くなるのでは?ということで、この社員が講師になって行う講座と、プロの写真家をお呼びしてお話して頂くスペシャルトークショーのような事をやっています。年に1回仕事の時間を使ってプロの写真家のスペシャルな講演を皆、楽しみにしています。こちらは300人くらい集まります。

市川 :ハービー・山口さんを講師にお呼びしたことはありませんでしたか?

千代田 :ハービーさんは初回の講師としてお願いしました。音楽を流しながらの講演で、皆が感動して涙を流したという思い出があります。

市川 :社員さんにとっても、写真家にとっても良いことですね。

千代田 :そうですね。タムロンは写真の会社ですが、映像事業部以外や間接部門などは、ふだんは写真と接点があるわけではないのです。映像関係の設計者に対しても、積極的に写真を撮りなさいという号令が出ていたこともありましたね。

市川 :そうですね。タムロンでは有志が集う写真同好会が定期的に外部で写真展をやったりするなど、写真活動が活発ですね。

タムロン写真同好会グループ写真展(2013年)市川さん提供

2013タムロン写真同好会グループ写真展の千代田さんの作品。市川さん提供

今後について

市川 :職場を離れたところでは、写真業界のカメラ、レンズ、フィルム、ラボなどの関係者、編集者、記者などの集う「業界写真クラブ」の幹事役を長らく勤めていますね。

千代田 :2002年にスタートした一大プロジェクト「あいうえお東京」で、毎回講師の先生に撮影指導と講評会をお願いしていますが、五十音の「あ」浅草から始めて、いまやっと「へ」平和島まで来ています。気がついたら18年ですね!東京の色々なところをスナップしました。始めた当時は10年くらいでと思っていたのに。ちょっと開催ピッチを上げていきたいですね!

業界写真クラブ代官山撮影会。ハービー・山口さんと(2009年)市川さん提供

業界写真クラブ講評会(2013年)市川さん提供

市川 :千代田さんはいままでに数多くの個展を開かれてこられましたが、2019年1月にルーニィ247ファインアーツで開かれた「幾へにも—ふたつの旅ひとつの物語」は多くの方から注目されましたが、これからのご自身の写真創作活動についてお聞かせください。

千代田路子写真展「幾へにも—ふたつの旅ひとつの物語」より

千代田路子写真展「幾へにも—ふたつの旅ひとつの物語」より

千代田 :この作品は、八百屋お七の人形に出会ったことから制作した作品と亡くなった母親への思いから制作した作品と、どちらも「弔う」ということがテーマになっているので、2つまとめて写真展を開催したんです。おかげさまで多くの方に見に来ていただきましたが、ルーニィさんの推薦でイタリアのミラノにある財団のギャラリーでもこの写真展を開くことができました。大変感謝しています。

市川 :ずいぶん国際的ですね、財団のWebサイトを見るとかなり高く評価されているのがよくわかります。これからの活動のご予定をお聞かせください。

千代田 :具体的に決まっていることは、11月に六本木のストライプハウスギャラリーで写真展を開催します。写真集も作りたいと思っています。その他、アートフェアへの参加も予定されているの で、作品は作り続けていくでしょう。発表の際は、是非ご覧いただけると嬉しいです。

それからこれまでに得た事をベースにして何か貢献したい、という気持ちがあります。自分が写真業界で経験させていただいたことなど何かの役に立てることがあれば、そしてお声掛けいただければ、動けるうちは動きたいという想いがあります。
例えばですが、ここ何年も近隣の伝統芸能の里神楽と人形浄瑠璃の撮影記録を担当しています。日本の伝統文化の普及にお役に立てばとやっています。

市川 :ありがとうございました。ますますのご活躍を期待します。

ショールームにて、初期の高倍率ズームと最新SPシリーズを持って


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