光復節(日本統治から独立した日)の反日デモ(2015年8月15日、ソウル) Kim Hong-Ji- REUTERS

<第二次安倍政権期の朝鮮半島政策がことごとく上手くいかなかったのは、南北朝鮮には日本の力が必要なはず、という時代遅れの錯覚があったからだ>

「日韓関係についての質問は出ないんですね」──自民党総裁選挙を巡る記者会見を見ていた、とある韓国在留のジャーナリストのSNS上での呟きである。なるほど確かにその通りだ。振り返れば、昨年の夏は7月に発表された日本政府による一部半導体産品の輸出規制発動により、日韓関係は大荒れに荒れていた。両国のメディアはこの対立を大きく報じ、韓国では大規模な日本製品や日本旅行のボイコットが発生していた。それは恰も日韓関係を巡る問題が、両国の国民において枢要の問題である、と見做されているかのようであった。

しかし、安倍首相が自らの退任を表明し、新たな首相が生まれようとする中、その候補者の日韓関係に関わる所信に関心を向ける人は少ない。同じ事は北朝鮮との関係についても言う事が出来る。自らの退任を表明した記者会見において、拉致問題を解決できなかった事を悔やんで見せた安倍首相に対し、新たなる総理・総裁達はこの問題に対して、通り一辺の見解を繰り返すに留まっている。そこにおいてこの問題を自らの政治家としてのライフワークの一つとして取り組んだ安倍首相との違いを見出だす事は簡単だ。

勿論、この様な状況の背景に、依然として我が国、そして世界各国に蔓延する新型コロナウイルスの影響を見出だす事は容易い。しかしながら同時に重要なのは、振り返ってみて2012年12月に成立した第二次安倍政権が、歴代の政権と比べても南北両朝鮮との関係に「拘り」を有していた政権だ、と言う事だ。

「親韓派」の巨頭・岸信介を祖父に

例えば、韓国との関係については、この政権の出帆当時の状況を思い出してみると分かり易い。第二次安倍政権が成立した2012年12月は同時に、韓国で大統領選挙が行われた月であり、そこで文在寅を僅差で破って当選したのは朴槿惠だった。当時は同年8月に李明博が竹島に上陸、天皇への謝罪を要求する発言をも行う事により、日韓関係が大きく悪化した時期である。

この様な状況において、出帆当初の安倍政権は韓国との関係改善に大きな意欲と期待を有していた。新たに大統領に選ばれた朴槿惠は保守政党セヌリ党の候補者であり、党内でも保守派に属した人物であった。1960年代の「親韓派」の巨頭として知られた安倍首相の祖父岸信介は、朴槿惠の父、朴正熙との交流を有した事でも知られており、安倍首相自身も過去にその愛娘である朴槿惠との個人的交流を有していた。だからこそ、安倍首相は古くからの交流を持つ同じ保守政治家である朴槿恵との間で、台頭する中国や核武装を進める北朝鮮に対抗する形で、日米韓三カ国の関係を立て直す事が出来ると考え、日韓議員連盟会長の額賀福志郎を特使として派遣するなど、積極的なアプローチを行った。

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