「ワクチンパスポート」という言葉が世界で飛び交っている。
新型コロナウイルスのワクチンを接種したことを証明するもので、海外では発行の動きが広がっている。
海外に行くとき、パスポートだけでなく「ワクチンパスポート」も必要になる時代が来るのだろうか。
日本はどう対応するのか。感染対策と社会経済活動の両立に効果があるのか探った。
(山枡慧)


日本でも検討!? ワクチンパスポート

「国内で接種証明書を使うということは今のところ考えておりません。ただ、国際的にワクチンパスポートの議論が進んでいくということになれば、日本も検討せざるを得ないかなと思っています」

3月15日の参議院予算委員会。
ワクチン接種を担当する河野大臣が、答弁で言及した「ワクチンパスポート」。
新型コロナウイルスのワクチン接種を済ませた人に対し、公的に発行される証明書のことだ。「ワクチン接種証明書」とも呼ばれる。

国境を越えた移動に役立てようと、すでに30か国以上が、導入や導入に向けた検討を進めていると言われる。

イスラエル “空気変わった”

最も導入が進んでいると言われるのが、中東のイスラエルだ。

英オックスフォード大学などが運営する「アワー・ワールド・イン・データ」のよると、人口100人あたりのワクチン接種回数は114.7回(3/27現在)。すでに国民の過半数がワクチンの2回接種を完了したという。ワクチン接種のトップランナーだ。

「生き返る!」
3月7日、ネタニヤフ首相は、エルサレム市長と並んで食事をする様子をみずからのツイッターに投稿した。

イスラエルでは、2月から、2回の接種を終えた人や、新型コロナの感染から回復した人に「グリーン・パス」と呼ばれるワクチンの接種証明が発行されている。

「グリーン・パス」の保有者は、レストランの店内利用やスポーツジムやプールなどの利用、イベントへの参加などが認められている。

イスラエルに30年在住し、すでに2回のワクチン接種を終えた、テルアビブ大学講師の山森みか氏は、「グリーン・パス」が経済活動の再開につながったと指摘する。

「若い人たちの中には『自分たちは若いからコロナに感染しても大丈夫だ』という思いがあり、ワクチン接種の動機づけが弱かったが『グリーン・パスがあれば映画館にもバーにも行ける』と、大々的な宣伝が行われた。多くの人がワクチンを接種し、接種済みの人が大半だとなれば、レストランやカフェに行き、パーティーもやろうというモチベーションも高まるので、結果的に経済を回すのに都合がよかった。今までは家族、友人に会ってもディスタンスをとっていたが、最近は元どおりハグしたりと、空気が変わったと感じている」

イスラエルでワクチン接種を担う公的な保険機関は、ファイザーなどが開発したワクチンの予防効果について「2回目の接種から7,8日後のワクチンの有効性は、現在のところ93%と推定される。ワクチンの有効性を示すうえで勇気づけられるデータだ」と指摘している。

導入目指すEU 往来再開へ

「この証明書を導入することで、私たちは加盟国が安全で責任ある、信用できる移動の自由を回復することを支援したい」

3月17日、EU=ヨーロッパ連合のフォンデアライエン委員長は、加盟国間での互換性のある接種証明書として「デジタルグリーン証明書」を発行するための法案を発表した。EUでは、経済の立て直しを後押ししようと、夏の休暇シーズンまでに「デジタルグリーン証明書」の導入に向けた準備を進めている。

証明書は、各加盟国が発行し、氏名や生年月日、発行国や識別番号が記載される。
接種ワクチンの種類や回数、日付に加え、PCR検査の結果証明や、感染経験のある人には陽性判定を受けた日付なども記載され、抗体証明としての役割も担う見通しだ。スマートフォンなどでも表示できるようQRコードにも対応することになっている。

証明書は加盟国に限らず、日本を含めた各国からの長期滞在者や短期訪問者にも発行され、国境を越えた往来を後押しすると見られている。
ただ証明書の提示によって、到着前の検査や入国後の自主隔離などの水際措置を緩和するかどうかは、各加盟国の判断に委ねられている。

「接種証明」過去に国内でも

ワクチンの接種証明を出入国管理に役立てるという発想は、実は新しいものではない。
現在でも黄熱の対策として、アフリカや南米の熱帯地域の国々では、「イエローカード」と呼ばれる予防接種証明を入国や飛行機の乗り継ぎの際に求めている。
過去にも、コレラの世界的なまん延を防ごうと、WHO=世界保健機関が関わり、国際的な予防接種証明が使用されてきた。
また天然痘対策としても予防接種証明が導入されたが、ワクチン接種の普及により、1980年の根絶を受けて翌年、削除された。

日本国内でも、予防接種の動機付けに使われたことがあったそうだ。
国立感染症研究所の資料によると、1997年に岡山県で、風しんワクチンの接種率向上を図るため、幼稚園や小中学校への入園・入学時に接種証明書の提出を求めたと記録されている。

どうする日本?

政府はどう対応するのか?
冒頭の河野大臣の発言にもあるように、国内で「Go Toキャンペーン」の利用や、イベントへの参加の条件にするなど、接種証明として使うことには慎重な姿勢を崩していない。どうしてなのか。
田村厚生労働大臣は、こう説明する。

「接種を受ける、受けないは本人の判断であり、それによる不利益が起こらないよう、政府として対応しないといけない」

新型コロナのワクチン接種は、日本では改正予防接種法で努力義務とされている。接種するかどうかは個人の自由なのだ。
さらに、治験データのない16歳未満や妊娠中の人は対象外となっているほか、持病など健康上の理由などから接種できない人も存在する。

政府は、副反応のリスクも踏まえて、個々人の判断で接種を行うよう呼びかけているが、「ワクチンパスポート」は、接種者を優遇し、未接種者を排除することになりかねないため、政府内からは「倫理的な問題としても、慎重に運用しないといけない」という声が聞かれる。

国会審議でも、野党側から「予防接種を受けたくない人が不利に扱われる雰囲気を作り出すのではないか」という指摘もあがっている。

海外往来に支障は?

しかし世界は待ってはくれない。

出入国の際、提示を求める国が増えてくることが予想される。
世界のおよそ290の航空会社が加盟するIATA=国際航空運送協会は、国際線の利用者の搭乗手続きを円滑にするため、スマートフォンのアプリを使ってワクチンの接種やPCR検査の結果などを空港カウンターで確認する実証実験を進めることにしている。

WHOは、感染対策上、ワクチンの効果がまだ未知数だとして、水際措置の軽減に使うことには否定的な見解を示しているが、それでもである。

このままでは日本人の往来に支障を来すことになるのではないか。そんな懸念も出てくる。

このため政府は、高齢者への接種にあわせて、4月中旬から本格運用が始まる「ワクチン接種記録システム」を活用し、「ワクチンパスポート」として利用できる接種証明書を発行する準備を進めている。さらに政府内では、アプリを使って、PCR検査の結果も示すことができるようにすることも検討しているという。

ただ、こうした対応は、あくまでも国際的な動きに対応するためであり、日本の出入国管理に外国で発行された接種証明を活用することは想定していないとしている。

乗り遅れるな 準備急げ

野村総合研究所エグゼクティブエコノミストの木内登英氏は、「ワクチンパスポート」へのニーズは今後さらに高まるとして、日本も対応に乗り遅れないようにする必要があると指摘する。

「日本ではPCR検査の結果が『陰性証明』として活用されているが、ビジネスや地方への帰省の際なども、移動先で白い目で見られないよう、必要に応じて検査結果を証明したいというニーズはあるので、同じようにワクチンの接種証明書を使いたいというニーズは出てくる」

「『ワクチン接種をしたので感染リスクは小さい』と示せるよう、スマートフォンや紙ベースで必要に応じて出せる仕組みに対しニーズはあるので、そうしたニーズに政府は応える必要がある。そのためには仕組みを準備しておかなければならないし、スマホで示すのであればアプリの開発もしなければならない。EUでは夏前までに『ワクチンパスポート』ができるので、日本から行く旅行者だけが不利益を受けたり、不当に扱われることを避けるために準備はしないといけない」

パーフェクトな道具ではない

「ワクチンパスポート」は、感染拡大防止と社会経済活動の両立に本当に役立つのか。
感染症の専門家に聞いてみた。

川崎市健康安全研究所の所長で、内閣官房参与も務める岡部信彦氏。
肝心のワクチンの効果や、その持続性、さらに変異ウイルスへの対応なども考慮する必要があると指摘する。

「ワクチンというのは必ずしも100%の効果はない。インフルエンザワクチンの効果は60~70%と言うが、それでも接種をすれば重症化は防げるとか、発症を軽くするという効果があるが、『ワクチンパスポート』という形になると、かなり高い効果がなければ『パスポートを持っているからよい』というわけにもいかない」

そして「ワクチンパスポート」を使うのであれば、その限界を十分に理解するのが不可欠だと強調する。
「ワクチンパスポート自体は道具としてよいと思うし、隔離期間を短くすることはビジネスや留学、観光でも使えるかもしれないが、あくまでもパーフェクトな道具ではないということを認識しておかないといけない。ワクチンの効果が90%あっても感染してしまう人がいるわけで、どこかで漏れてしまう。『ワクチンパスポート』にはどういう意味があり、どの程度のものなのか知りながら使わないと、道具として使い方を誤ってしまう可能性がある」

“ポストコロナ”に向けて

新型コロナの感染確認から1年が過ぎ、ワクチンの登場により、ウイルスとの長い闘いにようやく一筋の光が見えてきているようにも感じる。
そうした中での「ワクチンパスポート」をめぐる各国の動きには、社会経済活動の再開に向けた強い期待が込められている。

日本でのワクチン接種は、人口100人あたり0.6回と、まだこれからだ。
ワクチン接種の先に、どのような社会を描くのか。
そのために、どんなツールが必要となるのか。
ポストコロナを見据えて、検討を急ぐ必要がありそうだ。

政治部記者
山枡 慧
2009年入局。青森局を経て政治部に。文部科学省や野党、防衛省の取材を経て、去年9月から厚生労働省を担当。

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