〜〜もう一度乗りたい!名列車・名車両の記録No.5〜〜

 

ちょっと旅に出にくいこんな時期には、少し前の列車旅の思い出に触れてみてはいかがだろう。名列車・名車両の記録5回目は、最後のブルートレイン列車となった特急「北斗星」の活躍を振り返ってみたい。

 

長年にわたり走り続けたブルートレイン寝台特急が列島を駆ける姿は、とても輝きに満ちていた。

*写真はすべて筆者撮影・禁無断転載。学研パブリッシング刊「寝台列車を乗り尽くす」誌内の図版と地図をリメイクして使用しました

 

【名列車の記録①】四半世紀にわたり東日本を走った特急「北斗星」

↑終着駅の上野を目指す上り特急「北斗星」。ブルートレインには青空がとても良く似合っていた

 

ブルートレインという名の起こりは1958(昭和33)年、20系客車が開発されたことに始まる。最初に同客車が使われたのは特急「あさかぜ」だった。優れた設備から〝走るホテル〟とも呼ばれた。

 

塗装は青15号と呼ばれるシックなブルーに、クリーム1号の3本の帯を巻いた姿で、20系を利用した客車寝台特急は「ブルートレイン」と呼ばれた。当初は、東京と山陽・九州方面を結んで走り、その後、東京と東北を結ぶ列車などに運行範囲が広がっていった。20系の後継として14系・24系客車が開発され、全国を走り続けた。半世紀にわたり全国を走ったが、新幹線の路線網が広がるにつれて徐々に廃止されていく。まずは西日本を走る列車が消え、かろうじて残った東日本の列車も徐々に消えていき、そして「北斗星」が最後の列車となったのである。

 

どのような列車だったのか。まずは列車概要から見ていくことにしよう。

 

●特急「北斗星」の概要

↑特急「北斗星」の停車駅と発着時間。北東北ではほとんどの駅を通過、一方、北海道内で多くの駅に停車した。道内観光に最適な列車だった

 

特急「北斗星」は、青函トンネルが開通したちょうどその日、1988(昭和63)年3月13日に誕生した。青函トンネルの開通を象徴するような列車でもあった。それまでは津軽海峡を渡るためには、青森と函館の両駅で、青函連絡船に乗り換えが必要で、夜間ともなれば、眠い目をこすりながらの移動となった。それも悪天候となると欠航してしまう。

 

青函トンネルが開通したことによりその手間が省けたのである。さらに「北斗星」が運行されるようになってからは、寝台で横になって翌朝に北海道へ、または首都圏へと、移動がとてもスムーズになった。

 

ちなみに、晩年の特急「北斗星」は、下りの列車番号が「1」であり、上りの列車番号が「2」だった。時刻表の一番上の番号も「1」や「2」と記載される。この列車番号「1」「2」はJRグループの中では、当時もほかになく、今もない。栄光の番号を背負った最後の列車になった。

 

【名列車の記録②】AB寝台ともに個室が増えてより使いやすく

「北斗星」は客車構成がすぐれていた。それまでの寝台列車といえば、開放型の2段寝台が主体だった。「北斗星」には2段寝台も連結されたが、個室も用意された。

 

まずはA寝台用の1人用個室「ロイヤル」、2人用個室「ツインデラックス」、さらにB寝台用の1人用個室「ソロ」、2人用個室「デュエット」と4タイプの個室が用意された。なかでも1人用個室「ロイヤル」はシャワー付きで予約がほとんど取れない人気ぶりとなった。

↑下は「北斗星」の編成図と7号車から電源車までの内訳を記載した。7号車は特急電車からの流用車両で屋根上に冷房機器が付いていた

 

↑6号車にはロビーとシャワールームが付く。撮影した日はロビーカーを連結。臨時列車にはこうした編成も見ることができた

 

個室のほかにも「北斗星」で人気があったのが、7号車に連結された食堂車「グランシャリオ」だ。旧来のブルートレイン特急とは異なり、豪華な食事を楽しむことができた。フランス料理のフルコースや懐石御膳もあり、懐石御膳はルームサービスも頼めた。同時期に特急「カシオペア」も上野駅〜札幌駅間を走っていたが、メニュー内容は「カシオペア」のレストランと同じだった。

 

【名列車の記録③】3区間で機関車が交代しつつ列車を牽いた

鉄道好きにとっては、途中に行われる機関車の交換も興味深かった。2回の機関車交換が行われ、3形式による牽引が行われた。まず上野駅〜青森信号場間では、EF510形交直流電気機関車が牽引。青森信号場〜函館駅間ではED79形交流電気機関車が列車を牽引した。さらに函館駅〜札幌駅ではDD51形ディーゼル機関車が牽引した。

↑上野駅〜青森信号場間ではEF510形交直流電気機関車が牽引した。右上は2010(平成22)年まで牽引を担当したEF81形交直流電気機関車

 

主に本州内で「北斗星」を牽引したEF510形交直流電気機関車は、JR東日本が寝台列車用に2009(平成21)年と2010(平成22)年に15両を新製したもので、EF510形の500番台にあたる。車両は「北斗星」と同色のブルーベースのものと、「カシオペア」に合わせた銀色ベースの2タイプが造られた。

 

2010(平成22)年から「北斗星」「カシオペア」の牽引だけでなく、貨物列車の牽引も行っていたが、運行開始わずかに5年で「北斗星」、また翌年に「カシオペア」の定期運用が終了してしまう。当然ながら余剰となり、全車がJR貨物に売却された。現在は同じ色のまま(細部の飾り等は変更)日本海縦貫線をメインに貨物列車の牽引に活躍している。

 

一方で、2010年まで「北斗星」を牽いていたEF81形交直流電気機関車の一部が、今もJR東日本に残る。後に振り返れば、ちょっと不思議な新製機関車の導入でもあった。

↑津軽海峡線を走るED79形交流電気機関車。「北斗星」だけでなく、「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」の牽引にも活躍した

 

青森信号場〜函館駅間で「北斗星」を牽引したのがED79形交流電気機関車だった。青函トンネルの列車牽引用に用意された機関車だ。まさに青函トンネル開業に合わせて生まれた「北斗星」の〝同朋〟とも言うべき存在だった。赤い塗装が目立ち、津軽海峡線の花形機関車でもあった。2015(平成27)年に「北斗星」が定期運行を終了すると、ED79形交流電気機関車は、その後、1年は急行「はまなす」の牽引を行ったものの、2016(平成28)年の3月21日で運行を終えた。

 

その後に青函トンネル内の諸設備が、新幹線が運行できるように変更されたために、同機関車はトンネル内を走れなくなり、牽引の役目も終了となる。順次廃車され、2020(令和2)年に最後の1両も解体されている。

 

「北斗星」が走っていたころに話を戻そう。青森信号場では機関車の交換作業を見ることができなかったが、函館駅では下りで7分、上りで12分の停車時間があり、乗客も降りてED79形と、北海道の非電化区間を走るDD51形ディーゼル機関車の、切り離し、連結作業を見ることができた。

↑室蘭本線を走る下り「北斗星」。道内の非電化区間ではDD51形ディーゼル機関車が2両重連で列車を牽引。重厚な姿が楽しめた

 

北海道内で「北斗星」を牽引したDD51形ディーゼル機関車は外観も北斗星に合わせた塗装で、客車との色のコンビネーションも絶妙だった。原生林をバックに走る姿は見惚れる魅力があった。

 

このDD51形も全車が急行「はまなす」の運行終了に合わせて引退、JR貨物のDD51形式もすでに道内からは撤退しており(その後、東海地区からも引退となる)、その重厚なディーゼルエンジン音が聞けなくなったのがちょっと寂しい。

 

【名列車の記録④】下り列車では青森駅から先の車窓が楽しめた

下り列車は上野駅19時3分と、暗くなるころに発車した。そのために関東地方、また東北地方では車窓を楽しむことができなかった。

 

一方で、青森信号場から先は、特急「カシオペア」、特急「トワイライトエクスプレス」の運行に比べて遅い時間帯に走ることもあり、車窓の移り変わりが十分に楽しめた。

↑津軽海峡線の中小国駅〜新中小国信号場間を走る下り「北斗星」。時間は4時50分ごろで、田植えが済んだ水田にその姿が映った

 

津軽海峡線(現・津軽線)の蟹田駅が4時46分発(運転停車)で、日の長い季節には外が明るくなりつつあった。そしてまもなく、青函トンネルへ入った。青森側入口から約40分で北海道へ。その時間が5時45分ごろで、だいぶ外も明るくなっていた。

 

木古内駅(5時54分通過)を過ぎると右手に津軽海峡が見えるようになり、しばらくすると車内から函館山と函館湾が望めた。

↑津軽海峡線(現・道南いさりび鉄道)の釜谷駅〜渡島当別駅間で右手に津軽海峡が臨める。撮影した日は朝霧が出て残念ながら見えず

 

函館駅へは6時36分に到着する。同駅で機関車の付け替え作業のため7分ほど停車する。ここから進行方向が変わる。七飯駅(6時54分通過)からは上り勾配を駆けあがり、やや長めの新峠下トンネルへ。抜けると左手に小沼と、湖ごしに駒ヶ岳が望める絶景ポイントが広がっていた。

↑小沼湖畔(函館本線七飯駅〜大沼駅間)を走る下り「北斗星」。進行方向左手には駒ヶ岳が望めるポイントでもある

 

函館本線は大沼駅の先で、本線と、砂原支線の二手に分かれるが、「北斗星」は駒ヶ岳の西側を走る距離の短い本線を下り上りとも走った。本線を下り終えた「北斗星」。森駅(7時26分着)からは右手に内浦湾が望めた。この大きな湾を半周するように回り込んで走る。

 

途中、函館本線の長万部駅(8時29分着/おしゃまんべえき)からは室蘭本線へ入っていく。「トワイライトエクスプレス」が道内初の停車駅が洞爺駅だったのに対して、「北斗星」は洞爺駅(8時59分着)まですでに函館駅から4つの駅を停車、この先も伊達紋別駅(9時11分着)、東室蘭駅(9時32分着)、登別駅(9時48分着)、苫小牧駅(10時19分着)と細かく停車していく。この列車の停車駅を見ると、首都圏からの道内観光を楽しむ列車として便利なようにダイヤを設定されていたことが良く分かる。上りも同じ駅を停車して走ったこともあり、そうした北海道観光には〝役立つ寝台列車〟だったのである。

↑千歳線の北広島駅〜上野幌駅間を走る下り「北斗星」。終着駅まで残り20分弱の距離だが北海道らしく豊かな自然に包まれる

 

苫小牧駅の先では南千歳駅(10時41分着)に停車。千歳線の沿線も、札幌まで至近にもかかわらず、北海道らしく緑が豊かで、自然林に囲まれた中を、北斗星は終着駅を目指した。

 

札幌駅への到着は11時15分と遅めの到着だった。観光利用が大多数という列車だったこともあり、ホームに到着しても、長旅の余韻を楽しむ乗客が多かった。列車はしばらくの間、ホームにとどまる。その間に機関車や客車を外から記念撮影する人も目立った。17分経った11時32分過ぎに回送列車としてホームを静かに発車していく。ホーム上には、その姿を追う多くの人たちが残った。

 

【名列車の記録⑤】上り列車は関東平野の田園風景が楽しめた

次に上り列車の車内から楽しめた情景について触れていこう。

 

札幌駅発17時12分で、上野駅発に比べると2時間ほど早かった。そのせいもあり、日の長い季節ならば、道内の風景が楽しめた。千歳線沿線では広々した畑地や牧草地が見渡せた。

 

下の写真は、室蘭本線での7月初旬の情景。東室蘭駅(18時51分発)を発車した以降に、内浦湾が見え始め、運がよければ、海ごしに沈む夕日が楽しめた。こうした情景は食堂車「グランシャリオ」でディナーを味わう時にも楽しむことができた。

↑室蘭本線北舟岡駅を19時過ぎに通過した上り「北斗星」。この駅付近から進行左手に内浦湾を見ながらの旅が楽しめた

 

食堂車でのディナータイムも終わり、またロビーで寛ぐ人たちも部屋へ去り、列車はひたすら本州を目指す。函館駅を21時48分に発車以降は、仙台駅(4時54分着)まで、途中駅の停車がない。福島駅5時58分着、郡山駅6時38分着といったあたりからは、東北本線沿いの風景はしっかり楽しむことができた。

 

実は「北斗星」から15分ほど前を走る寝台列車があった。それが特急「カシオペア」だった。「カシオペア」の客車は1編成しか製造されておらず、毎日走るわけではなかったが、「カシオペア」「北斗星」と2列車が走る日は、2列車が立て続けに撮れるとあって、東北本線沿線は多いに賑わった。

↑福島県と栃木県の県境にかかる黒川橋梁を渡る上り「北斗星」。朝7時12分の通過で、朝陽に輝く列車の姿が楽しめた

 

朝7時過ぎに関東地方へ入った上り「北斗星」は、宇都宮駅に8時10分に到着した。栃木県そして埼玉県の沿線は、田畑の広がる場所も多く、車窓の楽しみともなった。もちろん撮影地も、ふんだんにあり、筆者もだいぶ通ったものである。

↑東北本線栗橋駅〜東鷲宮駅間で。ワシクリの名前で知られる名物スポットでは水田ごしの上り「北斗星」が撮影できた

 

↑東京都内はちょうどラッシュが終わるころ。写真は京浜東北線東十条駅付近。同駅付近はその後フェンスで覆われ撮影には向かなくなった

 

大宮駅には9時10分の到着。先行する「カシオペア」も9時2分着と、最も混みあう時間帯よりもやや遅くに都内へ入るようにダイヤが調整されていた。大宮駅以降は、京浜東北線と平行して走る区間で、ホームで電車を待つ人たちの視線を浴びつつ、列車は南下を続けた。

 

9時25分ごろに埼玉県と東京都の間にかかる荒川橋梁を通過。東京都へいよいよ入っていく。名残惜しむように、列車はスピードを落としていき、上野駅の行き止まり式ホームへ9時38分、静かに滑り込むのだった。

 

 

特急「北斗星」が廃止されてすでに6年の月日が経つ。夜空にきらめく「北斗星」のように魅力的で、有意義な旅が楽しめる列車だった。今後、再びこうした列車が現れることを期待したい


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