4月3日にスタートした南海電気鉄道の「Visaのタッチ決済」による改札システム通過の様子。新今宮駅にて撮影

既報の通り、南海電気鉄道は4月3日より「Visaのタッチ決済」による改札の入退場と支払いシステムの運用を同社16の駅で開始した。実際に国内初となる改札システムへの「オープンループ」導入は非常にインパクトがあり、大阪市内の主要ターミナルである難波駅への導入ということもあり、比較的多くの人々が興味をもって現地で実際に体験し、その模様をTwitterなどのSNSで拡散して盛り上がった印象を受ける。

SNS上での感想はさまざまだが、「思ったより早い」「これで充分」「外国人には便利」といった感想があった反面、「Suicaに比べて遅い」「これをそのまま導入すると改札が詰まる」といった感想も多く見受けられた。他誌の筆者の記事についての感想も、同様に真っ二つに評価が分かれた印象がある。

南海電鉄のVisaのタッチ決済による自動改札実験(映像提供:南海電鉄)

今回は実証実験なので、メリットとデメリット含めて問題の洗い出しと改良のためのフィードバックを得られればと思うが、いくつか気になるポイントがあったのでここで改めて言及しておきたい。

Suica(FeliCa)への誤解とその秘密

今回の動画で確認できる内容も含め、よくいわれる「FeliCaは早い、Type-A/B(MIFARE)は遅い」というコメントだが、これは“ある意味”で正しく、“ある意味”では間違っている。

よくある誤解は「FeliCaはType-A/B(MIFARE)より早い」という部分だが、初期のMIFAREならともかく、現行の製品で両者に処理速度(転送速度)と暗号強度にほとんど差はない。

一方で、Suica改札のようにローカル処理を行なうシステム(クローズドループ)に対し、いったんセンターに問い合わせが発生する南海電鉄でも導入された「オープンループ」では、どうしてもネットワーク間を往復するラウンドトリップ時間で不利になる。これが、Suicaのうたう「処理時間は200ミリ秒以内に完了」と、EMVCoの規格を基準とする南海電鉄やロンドンのTfLのオープンループでの「処理時間は500ミリ秒以内に完了」という違いに直結する。

世界で最初に決済カードでの乗降を可能にしたロンドンの地下鉄

以前のオープンループ解説にもあるように、実際の改札通過にかかる体感時間はさまざまな要因によって決定される。1つは「“タッチ”動作に入ってから実際に認識されるまでの時間」で、もう1つは「通過しようとして許可の判定が出るまでの時間」だ。

実は、このうち前者における“工夫”がSuicaの抱える最大の秘密であり、FeliCa全般への誤解といえる。

次の図版は、非接触リーダーの中心部から「カードを認識できる」までの距離を示したものだ。Suica(改札)の場合は最大85mm、一方のType-A/B(MIFARE)は最大40mmとなっている。つまり、認識できる距離が両者で倍以上異なっている。Suicaのような暗号処理の施された非接触ICカードは、リーダー装置の読み取り範囲に入ることで電磁誘導が発生してカード内のアンテナに電流が生まれ、ICチップ内のアプレットが起動して処理を開始する。これがNFCの基本的な動作原理となっている。

SuicaとType-A/B(MIFARE)のリーダーからの認識距離と認識時間(処理時間)の違い

アンテナからの距離が0(ゼロ)の場合は電磁誘導は発生しないため、実際にはリーダー装置の表面から数mmないし10mm程度奥まった場所にアンテナが存在する。いわゆる“タッチ”動作の場合、この範囲外からリーダーに向けてカードを近付けていき、接触させたような状態でリーダーが“反応した”のに合わせて再び離す動きとなる。つまり、認識範囲が広いほどICチップの起動が早くなり、タッチ完了までの処理時間を稼ぐことが可能になる。

Suicaの場合、Type-A/B(MIFARE)に比べて2倍の処理時間猶予があるうえに、処理そのものは200ミリ秒以内に完了する。ケースにもよるが、たいていの場合は“タッチする前”には処理が完了してしまうだろう。これが「Suicaの処理速度」の秘密だ。

反対に、Type-A/B(MIFARE)は500ミリ秒の最大処理時間が割り当てられているにもかかわらず、リーダーからの認識範囲はSuicaの半分以下にとどまる。「海外の改札で交通系ICカードやクレジットカードをタッチする場合、リーダーにしっかりと長時間かざさないと通過できない」と感じることが多いのはこの違いだ。

南海電鉄のケースでも、デモンストレーションのためにカードの券面を見せつつ通過シーンの撮影をお願いする場合があったが、次の写真のような位置でカードを保持していても改札のリーダーは反応しない。これは認識距離の問題に起因する。

デモンストレーション用にカード券面を見せた状態でタッチしてもらったが、この状態ではカードをある程度近付けてもリーダーは反応しない

ここで注意したいのは、この仕様はあくまで「Suicaの改札システム」に由来するものであり、FeliCa自身が規定する仕様ではない点だ。一歩改札を離れれば、85mmの認識距離だけでなく、200ミリ秒という処理時間も必須のものではない。自販機や売店などで経験したことがあるかと思うが、Suicaのカード処理に1秒以上時間がかかり、その間しっかりとリーダーにカードを接触させていないと処理が完了しないというケースがある。つまり、Suicaの反応速度というのは改札のみに適用される特別仕様ともいえる。

ならばここで「だったらType-A/B(MIFARE)のリーダーも認識距離をSuica並みにすれば処理速度が上がるのでは?」と考えるかもしれない。

ところがType-A/Bにまつわるリーダーの仕様はEMVCoで規定されており、前述の40mmの認識距離を超えた設定は難しい。設置されるリーダーもEMVCoの認定が必要であり、例えば京都丹後鉄道の福知山駅などに導入されたリーダー装置などは、この仕様を満たすためにわざわざ輸入などで取り寄せたものだったという。

南海電鉄についても、既存の改札前に設置するポール型の読み取り装置では、京都丹後鉄道と同じ装置を採用し、EMVCoの基準に沿ったものとなっている。今回、南海電鉄で一体型の改札として採用された高見沢サイバネティックスのゲート装置も、本来はビルの入退館ゲートとしてType-A/B(MIFARE)のカードに対応するために必要な認定を得たものだ。

京都丹後鉄道の福知山駅に設置されたオープンループ処理用のType-A/Bリーダーとクローズドループ処理用のQRコードリーダー装置

南海電鉄の難波駅に設置されたポール型のゲート。既存の改札前に設置され、ポール上のリーダー装置は京都丹後鉄道と同じもの

世界標準という枠組みがある以上、日本だけで独自のカスタマイズは許されない。唯一の方法はEMVCoを含めて海外の標準団体に日本の交通事情を説明して、仕様における条件を緩和してもらうことだが、非常に時間がかかるうえ、すでに多くの国で問題ないとして導入されているシステムの仕様を、わざわざ日本のためだけに変更するよう訴えても、その声が届く可能性は薄いだろう。つまり、リーダー装置そのものが今後の改良で高速化される可能性は低いというのが実情だ。

オープンループは日本国内で広がるかもしれないが、Suica等の利用も続く

少なくともいま見えているのは、今後も南海電鉄を含め、他の大手鉄道会社がType-A/B(MIFARE)を用いたオープンループの改札システムを導入する可能性があるが、既存のSuicaを含む交通系ICカードを利用した乗降システムは依然として利用が続くということだ。

これだけ日本国内で交通系ICカードの利用が進んだなかで、あえていきなり全部を今回のようなType-A/B(MIFARE)ベースのシステムに入れ替えるメリットは薄いだろう。仮にインバウンドの外国人にメリットがあるとしても、実際に公共交通を利用する大部分は日本在住者だ。ゆえに、「Type-A/B(MIFARE)のオープンループを採用した事業者は既存の改札システムに加え、新たに同技術対応の改札を導入する」という形態に落ち着くとみている。

前項での説明にもあるように、仕様そのものが異なるリーダー装置の同居は難しく、例えば「Suicaと非接触クレジットカードの両方の処理に対応した改札」というのは、特に主要都市圏の大手鉄道事業者では当面登場しないと考える。ゆえに小さな駅での改札の増設が難しく、さらに大規模な追加投資が難しいという鉄道会社の場合、既存改札の前にType-A/B(MIFARE)処理用の専用ポールを立てるという南海電鉄のソリューションが採用される可能性が高い。例えば高野山駅では改札がこのタイプのものに置き換えられており、乗降人数の少ない小さな駅を中心に、この仕組みを採用することになるのだと考える。

高野山駅での入場ゲートはすべてポール型のリーダーに変更されている

なぜQRコードの方がVisaのタッチ決済より処理が早いのか

別誌の記事で動画で紹介しているが、今回の南海電鉄のケースでいえば、Visaのタッチ決済よりもQRコードの方が処理時間が短い。

その理由はシンプルで、Type-A/B(MIFARE)の処理の場合はカードをリーダーまで密着しなければいけないのに対し、QRコードでは多少距離が離れていても認識できるため、スマートフォンの画面をリーダーに“近付け始めた”段階から読み取りが開始され、結果として処理完了までの時間が短く感じる。それに加え、Visaのタッチ決済では出場時のオーソリゼーションもあり、単純なQUADRACのクラウド間の通信よりも余計な時間がかかる(入場時はローカルでのネガチェックのみ)。QRコードの処理はあくまでクローズドループのため、処理時間は最短で済む。

ただし、実際にはQRコードで“まごつく”ケースの方が多くみられることになると筆者は予想する。QRコードを認識するためのベストな位置はリーダー装置の表面から少し離した場所だが、ユーザーとしては認識のために画面を密着させようとしてQRコードの読み取り範囲を越えてしまったり、画面が暗すぎる、あるいはスリープに入って消えてしまうというケースも考えられる。一方で、Type-A/B(MIFARE)のいわゆる「タッチ決済」はすでに国内の交通系ICカードに慣れたユーザーも多く、「認識には多少時間がかかるが、問題なく通過できる」ということになるだろう。

QRコードの認識を確実にするソリューションの1つは、QRコードのリーダー表面にスペーサを置いて画面を密着できないようにすることで、多少の工夫でエラー率は軽減できると思われる。

4月15日から開始される南海デジタルチケットのQRコード

南海電鉄によれば、もともとはType-A/B(MIFARE)のクレジットカードやデビットカードを受け入れる方法を模索する過程でビザ・ワールドワイド・ジャパン、三井住友カード、QUADRACの3社と組むことになったが、QUADRACが提供するシステムではタッチ決済以外にもQRコードの処理が可能であり、「それならばついでに実験を行なおう」ということで導入が決まったという。

“オマケ”という位置付けのQRコードの仕組みだが、このタイプの発券システムは機種も選ばない点でスマートフォンとの相性がよく、アプリ導入なしでWebブラウザ経由で利用できる点で通勤客以外への展開が容易だ。また、こうした利用者が周遊券を購入したり、美術館など地域の施設との利用が可能なイベントチケットへの転用が可能で、訪日外国人客にはより“刺さる”サービスになるのではないか。2025年の大阪万博をにらむのであれば、むしろこのQRコードの仕組みはより大きな可能性を秘めているのではと筆者は考えている。

「国内交通系ICカード vs. 海外標準システム」の枠を越えて

今回はあくまで実証実験であり、この仕組みがそのまま本導入されるわけではない。問題点の洗い出しを行ないつつ、今年12月12日のテスト終了のタイミングまで、少しずつ改良を加えた形でさまざまな実験と情報収集が行なわれていくことになる。

特にQRコードを使ったチケットの仕組みはいろいろな企画チケットが登場する可能性もあり、非常に楽しみだ。ハードウェアに関しては入れ替えなどは発生しないと思われるが、後に正式なデザインが決定されるなかで、改札をよりスムーズに通過できるよう、処理時間を稼ぐためにレーンの距離が延長され、フラッパーも壊れにくいものが採用されるなど、いろいろなアイデアが盛り込まれると考えている。

今回の実証実験では、特に他の私鉄各社が実証実験の行方に注目していると考えている。関西は伝統的に私鉄が強い地域として知られているが、顔認証+QRコードの改札テストを行なっていた大阪メトロも合わせ、どのような形で新たな改札システムを導入できるか思考を巡らせていることだろう。

特に2025年に開催を控えた関西・大阪万博は1つの試金石になると考えられているため、この一大イベントに合わせた相互連携が進んでいる。関西鉄道7社によるMaaS連合の話題が2020年秋に出たが、今回の南海電鉄の実験もまた、その延長線上にある。特にQRコード部分は連携の要になる可能性があり、今後の展開に注目している。

南海電鉄自身は、通勤・通学客もさることながら、いかに外部の利用者をこのシステムを使って捌くかに注目しているはずだ。残念ながら新型コロナウイルスの影響で関西国際空港を起点としたインバウンド需要は停滞しているが、関空アクセス路線と高野山への観光路線の2つの重要なルートを抱える同社にとって、既存の大量の地元客を捌きつつも、一見さんともいえる域外利用者に対して先進性や利便性をアピールするチャンスとなる。単純な「国内交通系ICカード vs. 海外標準のシステム」という枠を越え、どのように新しい試みを発展させていくか注視したい。

極楽橋駅に停車する南海高野線の車両。世界遺産の高野山への玄関口となる


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