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古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

・参議院議員松沢茂文氏、皇居移転論を提唱。

・皇居移転は東京一極集中と地方過疎問題に有効な対策と述べた。

・東京は政治経済、関西が文化経済という二元的な国家構造が可能に。

将来のよりよい日本とは、どうあるべきか。 

新しい年を迎え、コロナウイルス大感染という危機での緊急事態に直面し、アメリカや中国の激動からの国難にも襲われた日本にとって、国のあり方を改めて基本から考える好機でもあろう。

中国からの邪悪なコロナウイルスの果てしない拡散や尖閣諸島への中国の激化する軍事攻勢など、目前に迫った危機への対処がまず優先されることは、いうまでもない。だがその先に、あるいはその底には、中期、長期に日本がどんなかたちでのよりよい国を目指すべきか、という大命題は常に存在する。

そんな発想を契機に新たな大提案を紹介してみたい。

皇居を東京から関西へ移すという案である。とんでもない、という猛反対がまず予測される。以前にも一部で何回か提起されてきた案だから、どうということはないという冷淡な対応もあるだろう。皇室の軽視だから許せない、とする反発もあろう。

だがこの種のネガティブな対応を十二分に勘案しての提案なのだ。しかも決して皇室の軽視ではない。その提案は参議院議員の松沢成文氏によるからだ。松沢氏は現在は日本維新の会に所属する参議院議員だが、これまで衆議院議員を2期、神奈川県知事を2期、それぞれ務めてきた著名な政治リーダーである。具体的な実績も少なくない。

松沢氏は松下政経塾の出身、日本の歴史や伝統、そして国家の利害や誇りをも重視してきた政治や行政の軌跡があり、憲法の改正をも唱える。一般の区分では保守の政治家であり、皇室への敬意への念もことあるごとに表明してきた。

そんな政治家がまじめに皇居の関西への移転を主張しているのだから、強い関心を惹かれることになった。松沢氏はその移転先にはやはり京都を第一にあげていた。同氏はこの皇居移転案をすでに国会でも公式に提起した。2016年に世に出た始動!江戸城天守閣再建計画(発行:ワニブックス)という自書のなかでも、詳しく説明していた。

だからすでに知る人ぞ知る、の松沢議員の皇居移転案なのである。

私がいまこの時点であえて、この提案をとりあげ、より多くの人たちに知らせたいと感じたのは、その案を松沢氏から直接に聞く機会を得たからだった。昨年12月7日、日本戦略研究フォーラムでの会合で松沢氏が講師として「新しい国のかたちを求めて」というタイトルで講演をした際に、皇居移転論をじっくりと聞いたのだった。

松沢氏はこの講演で現在の日本が直面している課題として東京一極集中と地方の過疎を指摘し、首都としての東京のこんごのよりよきあり方を含めて、その有効な対策は皇居の移転だと大胆に述べたのだった。

松沢氏はいまの天皇や皇室の制度の下に統合を果たしている日本の体制への高い評価を説明したうえで、東京一極集中の切迫した諸問題の解決策として皇居の関西移転を提案するのだった。

皇室が明治初期に京都から東京へ居を移すまでは関西が日本の文化の中心だった輝かしい歴史があり、天皇の権威と政治の融合による近代・日本の形成は東京での皇居の存在によってすでに満たされたため、政治の首都は東京のまま、文化の首都を皇居とともに京都あるいは関西の他の地に移すべきだとも述べた。

現在の皇居となっている江戸城跡については松沢氏はかつて江戸の空にそびえていた天守閣再建計画を紹介した。江戸時代に大工棟梁であった家に伝わる設計図を基に復元を目指すという。そしてその財源は税金ではなく民間資金でまかなうことが可能であると述べ、このような文化財の保存事業は実物の保存、技術(城大工・宮大工)の継承、観光業への貢献といったメリットがある、とも強調した。

▲写真 江戸城跡地 出典:getty images;John Banagan

松沢成文議員のこの皇居移転案の理由について、同議員の前述の著書からもう少し引用して、紹介しておこう。

「皇居の京都への移転が実現すれば、東京は政治・経済の中心地、そして京都と関西が文化・経済の中心地という二元的な国家構造を持つことになり、東京の一極集中を緩和し、地方分権につながっていく。そして皇居が京都御所に還ることによって現在の皇居は江戸城址として再整備ができ、御所は両陛下の離宮として一部を残しながら、博物館、美術館などに転用できるし、ニューヨークのセントラルパークのような緑豊かな公園として、また都民、国民、観光客に憩いの場として開放できる」

「万世一系による2600余年の悠久の歴史を紡ぐ天皇制は、欧州などの王室とは異なる独特の価値を有しており、日本の誇る至高の財産とも言えよう。天皇制を頂く日本の立憲君主制は日本が誇るべき国家体制である。しかしながらこの天皇制において皇居が東京にある必然性はない。そもそも明治元年に明治天皇が旧江戸城に入られ、翌年に政府が京都から東京に移されたこと自体、もとの都を廃する『遷都』ではなく、あくまで新しい都を定めるだけの『奠都(てんと)』だという専門家の研究や意見もあるのだ」

なるほど理にかなった議論として響く。このままでは中期、長期の衰退だけが予測される日本の新しい国づくりの指針として考えてみてもよい提案であろう。

トップ写真:皇居 出典:getty images; Vladimir Zakharov

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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

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