滋賀県には、日本の歴史上で転換期となった大きな合戦場跡があるのをはじめ、織田信長、豊臣秀吉、明智光秀らの居城、石田三成や蒲生氏郷といった名だたる戦国武将ゆかりの地として知られる。滋賀であえて「戦国」にこだわって辿る、意外と知られざる旅スポットを、全5回シリーズでリポートする。

まずは、滋賀にある城で最も有名といっても過言ではない「彦根城」から。

彦根城には、国宝の天守をはじめ、国の重要文化財も数多くあり、1年を通して数多くの観光客が訪れる。彦根城に登場する「ひこにゃん」のファンも多い。

その彦根城の歴史は、1600年の関ケ原の合戦後に論功行賞により、石田三成の佐和山城と旧領を井伊直政が拝領し、徳川家康の命で築城が始まったのが最初だ。

大津城から移築した天守が完成したのは、1607年頃。ちなみに、国宝天守が現存するのは、彦根城を含めて全国に5か所のみ。

DSC_5463

彦根城で見られる「戦国」は、築城前にさかのぼる。

もともと彦根山(別名、金亀山)だったところ、山肌を削って築城された彦根城。城の普請には、戦上手で評判高かった甲斐・武田氏の家臣が関わり、「城に攻めてきても防御するための築城術」が、彦根城の至るところに現在も見られる。

DSC_5428

表御門から、本丸に向かって上る石階段、よく見ると、上に真っ直ぐではなく斜めになっている。

これは「敵が攻めてきても一直線に上って来られないため」という築城術の1つ。急な角度の場所もあり、敵が登ろうとすれば叩き落せる構造なのも特徴だ。

DSC_5431

登り切ったところの上に、橋がある。もし敵が攻めてきたら、上から攻撃して挟み撃ちにできる。

そして、ここからまだ本丸の姿はまったく見えない。

天秤櫓(右:打込接積み、左:切込接積み) - コピー

橋をくぐって左にぐるりと回って上ると、やっと橋の上にたどり着く。本丸は近いが、やはりまだその姿が見えない。

彦根城の石垣にも注目。現存では極めて珍しい技法「登り石垣」が見られる。上の画像後ろにある天秤櫓の向かって、右に、石を”荒加工”して積み上げたもの「打込接ぎ」、左に、石を”完全加工”して積み上げたもの「切込接ぎ」が見られる。

DSC_5445

本丸に続くなだらかな石階段。この階段も斜めに上がっていく。

DSC_5447

この先が本丸で、右手にある。それでも本丸がまだはっきり見えないのが、攻め込んでくる敵を不安にさせるという、武田氏ゆかりの知恵。

DSC_5441

本丸の逆側に「鐘の丸」という場所がある。その名の通り、時を知られる鐘を置く場所だった。現在は広場のようになっている。城の中で最も大阪方面にあるのは、当時最大の敵だった豊臣氏が拠点の「大阪を向いて配置している」が最大の理由だ。

実はここが、もし城に敵が攻めてきた時の、味方の兵が集まる最前線でもある。もともと彦根は、中山道と北陸道が合流する場所であり、水陸における東国と西国の結節点でもあった。そのため、戦国時代には、この地域には丹羽長秀、羽柴秀吉、石田三成ら名だたる武将が配置された。

DSC_5442

鐘の丸から、城外を見ると、城下の町並みが一望できる。右手には、琵琶湖。当時の彦根城は琵琶湖畔にあり、内堀や中堀に、琵琶湖からから入ることができた。

DSC_5465

また、鐘の丸を内堀の向こうから眺めると、グルリトと半円のような形をしている。まるで、大阪冬の陣における真田丸に似ている。このような曲輪(出丸)は、戦上手にとっては最良の防御場所だったのがわかる。

彦根城はまさに、戦のための城。「戦国」という目線から、その形跡をたどるのもおもしろく、他の城跡を訪れる際にも大いに参考になる。

DSC_5475

滋賀県では、県内に数多く残る戦国時代の人物、史跡、逸話・伝承などに焦点を当て、その魅力を体験する観光キャンペーンを開催中。

戦国ワンダーランド滋賀・びわ湖(2021年3月7日まで)

国宝・彦根城 – 彦根観光協会

(Written by A. Shikama)

【滋賀“戦国”の旅】(1)彦根城で発見! 戦に備える築城術、実は武田氏がルーツ

クレジットソースリンク