津波の跡が茶色の線となって残る、ひまわり信金四倉支店のATM=同信金提供

 福島県いわき市はとにかく広い。面積は東京都の半分を超え、一九六六年に十四自治体が合併して誕生したときは日本一広い市だった。海岸線は六十キロに及ぶ。人口は三十三万人を超え、東北地方では仙台市に次いで多い。

 二〇一一年三月十一日の東日本大震災時、ひまわり信用金庫は市内に十七店舗を展開していたが、四倉、豊間の二支店が津波で浸水した。幸い、職員は高台に避難して全員、無事だった。

 ひまわり信金は週末の十二、十三日、支店のシャッターを下ろしたが、通用口は開けた。「自宅が水没した人たちに一人十万円を限度に支払った。市内には金融機関が全部で十二行八十五店舗ぐらいあるが、全く休まずに営業を続けたのは、ウチだけ」と台(うてな)正昭理事長(77)は話す。

 不正を見抜く方法を尋ねると「生年月日。それに言葉です。地元の人間かどうかは話せばわかる」と笑った。「それよりも、お金をおろせたと、涙を流して感謝されたんですよ」と言う。トラブルはなかった。

 しかし、東京電力福島第一原子力発電所の事故は、大部分が三十キロ圏外のいわき市にも大きな影響を与えた。「人の姿がない。人がいないだけじゃない。犬も猫もいない。不気味だった」と台理事長は当時の市内の様子を話す。

 いわき市の災難はそれだけでは終わらなかった。震災の翌月、四月十一日にいわき市直下で福島県浜通り地震が発生、震度6弱を記録し、土砂崩れで死者も出た。復旧に向けて動きだしたのに、再び、壊れたものが多かった。

 同市は工業生産額が県内一位の工業の町だが、スパリゾートハワイアンズや湯本温泉があり、観光業も大きい。漁業も盛んだ。風評被害も大きかった。ひまわり信金は人を増やすには、雇用の増大が必要と考えた。

 ◇ご意見は[email protected]


クレジットソースリンク