弘南バスは、弘前市を中心に青森県津軽地方を営業エリアとする事業者で、平成初期は様々な路線環境に合わせた多様な車両に加え、各地から転入した中古バスによってとても賑やかな様相だった。

 一方で新幹線連絡高速バス「ヨーデル」、夜行高速バス「ノクターン」が人気を博し、新たな経営の柱に成長しつつあった。

執筆/写真:石鎚 翼

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路線バスのダウンサイジングと並行して、中古バスも導入


いすゞBU10
車掌台を持つツーマン対応車で、川重車体を架装した車両。この塗装は新CIによるデザイン導入まで使用された標準カラー。弘南バスの一般路線車は日野製が多く採用されていたため、いすゞ製大型車は少数派だった。この当時は、首都圏からの中古バスによって大型非冷房車の置き換えが進められていた時代で、画像の車両も置き換えが近づいていたころだ

 弘南バスの路線沿線は過疎化の進行が著しいうえ、マイカー普及率の高さ、若年層の流出などから、バス利用者の逸走傾向は比較的早い時期から顕著であった。

 そのため、バスのダウンサイジングも昭和50年代から進行し、中型バスの導入拡大が進められた。市内路線には、当時としては珍しく、マイクロバスを2ドアにしたミニバスも導入された。

 一般路線用車両の基本的な仕様は前乗り・前降りのトップドアであるが、平成初期は車掌台を設けたツーマン運転対応の前中ドア車も相当数が残っていた。また、他都市から転入した車両も前中ドアが標準であったが、これらは中ドアを閉鎖して運用された。


いすゞK-BL34
住宅路線をまわる、現在のコミュニティバスのような役割を担った路線に投入されたいすゞ製小型バスで、2ドアは特注仕様であった。最初に導入された1980(昭和55)年当時はまだミニバスは珍しく、路線バスダウンサイジングの嚆矢ともいえた。

 なお、近年は車いす旅客の乗降に中ドアを使用するため、自社発注車でも中ドアを装備するようになっている。

 弘南バスは、1985(昭和60)年に、盛岡で東北新幹線に接続し、弘前と首都圏や仙台のアクセスを向上させることを目的に、高速バス「ヨーデル」の運行を開始する。これが一躍ヒットし、高速バスは弘南バスの新たな経営の柱となった。

 1986(昭和61)年には夜行バス「ノクターン」が弘前・東京間で運行を開始。これもヒットし、一連の夜行バスブームの火付け役ともなった。

Konan Busの“K”をデザインした新たなマークを制定

 一方で、一般路線バスは、子会社である弘南サービスへの路線移管や、営業所の統廃合、路線整理が進められていった。

 平成初期には、県庁所在地の青森と弘前の間には、特急、急行、快速が運転されていたほか、五所川原、秋田県大館といった周辺都市にも急行などの優等路線バスが運行されていた。これらの路線には貸切から格下げされた車両が多く使用された。

 一般路線車両のうち、主に通学路線やラッシュ時に向けた大型車は首都圏などからの中古バスによって代替・冷房化が進められた。転入した車両は中ドアが閉鎖されたが、改造してその部分に座席を増設した車両も見られた。


いすゞCRA580
当時の弘南バスに多く在籍した貸切格下車で、フロントガラス内側上方に行先表示器を増設している。画像は1979(昭和54)年式の標準床車であるが、1981(昭和56)年からは、貸切バスのハイデッカー化が始まった。こうしたモノコック車は、スケルトン構造のハイデッカー車が登場すると著しく見劣りしたことから、平成の初め頃には多くの車両が格下げ使用された

 また、中小型バスは補助金によって新車を購入する、というスタイルが当時の方針であった(現在は中小型バスにも中古バスを投入)。経営環境が悪化していく中で、工夫した結果であろう。

 1991(平成3)年は弘南バスの設立(弘南鉄道からのバス部門分離)から50周年であることを機に、新たなCI(コーポレートアイデンティティ)が導入され、Konan Busの“K”をデザインした新たなマークが制定されるとともに、バス車体もこのマークを大きく記したデザインへ変更された。

 新デザインは、新車と中古導入車を中心に採用され、既存車両の塗装変更は積極的に進められなかったため、後年まで旧塗装車も活躍をつづけた。

 弘南バスの平成は、高速バスの成功と、新たな企業イメージづくりとともに始まったと言えよう。平成年間には、営業所の整理縮小、廃止・減便などが続いたが、現在も雪深い津軽地方の足を支えている。

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