「赤水図」のレプリカを持つ長久保赤水顕彰会の佐川春久会長=いずれも高萩市で

 高萩市出身で、江戸時代に精密な日本地図を作った地理学者・長久保赤水(せきすい)(一七一七〜一八〇一年)の関連資料が九月、国の重要文化財(重文)に指定されたのを追い風に、市内の団体が、業績紹介の漫画本作りなど知名度アップに本格始動した。赤水は、実測で日本初の日本地図を作った伊能忠敬より四十二年も早く完成させ、日本地図の先駆者とも言えるが、あまり知られていない背景がある。(水谷エリナ)

 「長年の悲願がかなった」

 高萩市で赤水のPR活動を続けている団体「長久保赤水顕彰会」の佐川春久会長(71)は、関連資料の重文指定をそう喜ぶ。

 指定された資料は地図や絵図のほか、文書など六百九十三点。江戸時代中後期の文化史、地図史の研究に当たり、学術的な価値が高いとされた。

 とはいえ、日本地図で知られているのは、伊能忠敬(一七四五〜一八一八年)だ。忠敬は日本で初めて測量し、死去後の一八二一年、仕事を引き継いだ弟子たちが「大日本沿海輿地(よち)全図」(通称・伊能図)を完成させた。実は、この伊能図ができる四十二年前の一七七九年、赤水は「改正日本輿地路程全図(よちろていぜんず)」(通称・赤水図)を作り上げた。

 赤水図の特徴は情報の細かさや利便性の高さにある。山や河川名など内陸の情報が豊富で、城下町や古戦場などを分かりやすく示す。精密度は伊能図と比べ遜色がなく、目立つ違いは当時の蝦夷地(北海道)が一部しか描かれていない程度だ。地図は小さく折り畳んで持ち運びができ、観光ガイドブックのはしりとも言える。

 忠敬が測量の際に携帯したと記録があり、松下村塾で知られる吉田松陰(一八三〇〜五九年)は兄への手紙で「これがなくては不自由」と記している。

JR常磐線高萩駅前の長久保赤水の像

 赤水は農家の生まれで、幼くして両親を亡くし、継母に育てられた。農業をしながら儒学や天文学、地理学などの勉学に励み、水戸藩六代藩主徳川治保(はるもり)に学問を教える侍講(じこう)を務めるまでになった。

 地図を作り始めたのは三十五歳ごろ。東北地方などへの旅や情報収集を経て、五十二歳で原図を作り約十年後、天文学の知識を生かして経線と緯線を入れ、赤水図を完成させた。

 江戸幕府が伊能図を国家機密として非公開としたのに対し、赤水図は庶民に広く普及。版を重ねるベストセラーとなり、ドイツ人医師シーボルトらの手で海も渡ったとされる。

 茨城大の小野寺淳教授(歴史地理学)は「赤水図の重要な点は、伊能忠敬よりも前に経線、緯線の中に日本列島を位置付けて地名や河川の名前を詳しく入れていること。欧米に与えた影響も大きい」と解説する。

 赤水の知名度が低い理由について、小野寺教授は「忠敬も五十年前は知られていなかったが、小説などに取り上げられて有名になった」とし、露出が少ないことを一因に挙げる。

 こうしたことから、顕彰会は、一般の人が赤水の名に触れる機会を増やそうと取り組んできた。

 近年では赤水の一生を漫画にしたほか、書簡をまとめた本などを出版。今年は、赤水が地図に記した不思議な海上現象を基にした絵本「りゅうのひかり」や、実寸大の赤水図第二版のレプリカ(縦約八十五センチ、横約百二十九センチ)も作った。

 佐川会長は「もっと知ってもらい、研究する人がどんどん出てきて論文を出してほしい」と語る。

 子どもらにも知ってもらうため、会員二人が漫画の単行本を一冊ずつ作り、来年十一月に出版する予定だ。一冊は、赤水の一生の続編で、もう一冊は「マンガ SEKISUI’S Brain(赤水の頭脳)」と題し、赤水の地図作りに焦点を当てた内容になりそうだという。

 ほかにも、教科書への赤水の業績記載や、大河ドラマ化、記念館の開館を目指した活動にも力を入れる。


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