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林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・ジミー佐古田氏、執念で「日米合同捜査本部」立上げ。

・殺人罪は「一事不再理」、殺人共謀罪は日本では「共謀罪」存在せず、灰色の決着。

・ロス市警の本命は「ジェイン・ドゥJane Doe88事件」。

前回の冒頭で述べたように、2008年10月、三浦氏は自殺を遂げる。享年61。

この年の2月、旅行先の米自治領サイパン島で、出張してきたロス市警の捜査員に逮捕され、身柄を移送された直後、市警の留置場にて、シャツで首を吊ったもの。

2003年に、日本における裁判では、最高裁で無罪が確定したところまで前回述べたが、ロス市警は、まだ彼を逮捕・訴追することを諦めていなかった。

三浦氏の方は、米国でも時効になっているに違いないと、単純に考えている節がある。そうでなければ、つまり再逮捕される可能性があると考えていたら、米国領に足を踏み入れることなどなかっただろう。

しかし、米国の法律では。殺人罪に関しては時効が設定されておらず、そもそもロス市警の立場からすれば、この件は捜査中に容疑者が海外(米国外)に逃亡したも同然なので、時効という意識自体、最初からなかったのだ。

その中心にいたのがジミー佐古田・元市警殺人課特捜隊長である。

名前で分かる通り日系3世であり、日本語も堪能なこの元刑事は、三浦氏のブログを監視して、彼がサイパン島に時折出かけていることを知り、最終的に、次に同地を訪れる予定の日時を知り得たという。

佐古田氏はこの時点では、ロス市警の職は退いていたのだが、当局から乞われて現場復帰していた。

もともと、事件発生の時点では、ロス市警はさほど捜査に熱心ではなかったようだ。ひどい話だが、かの地にあって銃撃・強盗事件など日常茶飯事であり、しかもこの件では被害者が合衆国の市民ではなく日本人観光客だったから、などと言われている。

▲写真 ロス市警(イメージ) 出典:Flickr; Chris Yarzab

しかし、当初から三浦氏の供述内容に疑念を抱いていた佐古田氏は、前回述べた1984年以降の日本における報道加熱ぶりを知るや、上司の頭越しにロスの検事局に直訴した。この年、同地ではオリンピック・パラリンピックの開催年であったため、

「このままでは、治安の悪い危険なん街だというイメージが世界中に広まってしまう」

と訴えたのだが、これまた当初は、市警上層部の怒りを買っただけであった。

佐古田氏にしてみれば、保険金殺人の容疑が浮上した以上、どうして見逃せようか、という刑事としての正義感にしたがって構想したまでなのだが、警察組織としてみれば、これは組織の秩序を乱すスタンドプレーに過ぎない、ということになってしまう。結局この年、26年間奉職したロス市警を退職せざるを得なくなった。日本の読者には、今年20周年を迎えた『相棒』(TV朝日系)という刑事ドラマでよく描かれるパターンだと述べれば、大筋のところはご理解いただけるであろうか。

しかし佐古田氏は挫けることなく、それまでの捜査データを添えて再度検察に直訴。これが今度は功を奏して、検察の特別捜査官に任じられ、ついには史上初めての「日米合同捜査本部」の立ち上げに至るのである(1985年)。

その後の経緯は、前回紹介させていただいた通りで、三浦氏は2003年に最高裁で無罪判決を勝ち取る。

例によって余談だが、この間、自身の「疑惑」を書き立てたメディアや著述家を片っ端から名誉棄損で告訴し、本人によれば「勝率八割」で、多額の慰謝料を手にしてもいる。さらに余談を重ねてよければ、裁判所が支払いを認めた慰謝料は原則非課税だ。

その一方では、保険会社3社からは保険金返還請求訴訟を起こされ、結局2社に対しては敗訴、残りの1社とは「敗訴に等しい和解」となったという(和解金額は不明)。

話を戻して、2008年2月に逮捕され、10月にロスに身柄を移されるまで、半年以上の時間を要しているわけだが、これは読者ご賢察の通り、三浦氏側が日本での無罪判決を理由に、逮捕状は無効である、と訴えたからだ。これが「一事不再理問題」である。

時効の問題については前述の通りだが、同時に、日本でも米国でも、同じ案件で再び裁かれることはない、という「一事不再理」が規定されている。

これはいささか、話がややこしいのだが、日本の裁判所が無罪判決を下したからと言って、自動的に米国で訴追される可能性もなくなるものか否かは、専門の法曹関係者の間でも意見が分かれるところであるらしい。犯罪人引渡協定との絡みもあって、話を持ち込まれた米国自治領マリアナ諸島の判事も、頭を抱えたと伝えられている。

結局、殺人罪については「一事不再理」が認められたが、殺人の共謀罪については、そもそも日本では「共謀罪」が存在せず、したがって裁かれていないので、捜査中だと認められるという、いわば灰色の決着がなされ、冒頭で述べた三浦氏の自殺へと至るのである。

これについて、私は佐古田氏を批判しようとは思わない。三浦氏が、法律の範囲内で「疑わしきは罰せず」の原理による無罪判決を勝ち取ったなら、佐古田氏とて法律が許す限りの手段で容疑者の再逮捕にこぎつけたのだから。無責任なネット民が人を犯罪者と決めつけたり、果ては「死刑宣告」するのとは次元が違う話なのである。

ただ、これは「形を変えた別件逮捕」であったという点は、指摘しておきたい。

実は、ロス市警の本命は「ジェイン・ドゥJane Doe88事件」であったと、捜査関係者自らが証言しているのである。

1979年5月、ロス郊外でミイラ化した東洋系女性の遺体が発見された。米国の警察など士法執行機関では、身元不明の女性をジェイン・ドゥ、男性ならジョン・ドゥと呼ぶことになっており、88は識別番号である。

後に、具体的には日本での「ロス疑惑報道」が始まった1984年のことだが、歯形称号によって、この女性の身元は、三浦氏の交際相手であったことが判明した。既婚者であるが三浦氏と深い仲になり、氏の会社の役員にも就任していたという。後に、夫とは正式に離婚している。

問題は、この女性が1979年3月29日にロスの空港に降り立った記録があり、一方、三浦氏は3月27日から4月6日までロスに滞在していた記録がある。

そればかりか、女性の前夫から振り込まれた(慰謝料?)426万円を、彼女のキャッシュカードで引き出していたことまで判明している。これについて当人は、

「この女性に金を貸していて、米国から贈られてきたキャッシュカードで引き出す形で返してもらっただけ」

などと供述し、日本ではメディアが「もうひとつのロス疑惑」と書き立てたものの、証拠不十分であるとして訴追されなかった。

米国カリフォルニア州の裁判所が(かの国では、各州が独自の法律・裁判権・軍隊まで持っている)本当にジェイン・ドゥ88の事件で逮捕状を発行したかどうか、今となっては「神のみぞ知る」としか言いようがない。

ここまで読まれた読者の中で、この件でも三浦氏がシロだと考える人はほとんどいないかも知れないが、法で裁けるか否かは、また別問題だ。前回も述べた通り「疑わしきは罰せず」という原則が守られなくなるようでは、法の正義も成立しがたくなるのだから。

(続く。再論・「正義」の危険性について その1,その2)

トップ写真:サイパンの海 出典:Pixabay;kenny kim

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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾


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