亡くなった捕虜の多くは20代の若者だった

東南アジアのタイに第二次世界大戦中に旧日本軍が建設した鉄道が残されています。「死の鉄道」とも呼ばれ、戦後75年がたった今でも、戦争の悲惨さを訴え続けています。

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先月、タイ西部カンチャナブリ。映画「戦場にかける橋」で有名な観光地には新型コロナウイルスの影響を感じさせないほど、多くの人が訪れていました。

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この鉄道は実は、第二次世界大戦中に旧日本軍が建設したものです。深い森の中、岩肌すれすれを走る列車。かつて、タイとミャンマーを結んだ「泰緬鉄道」。旧日本軍が拡大する戦線を支えるため、全長415キロをわずか1年ほどで開通させました。

建設の主な労働力となったのは、イギリスやオーストラリアなどの連合国軍の捕虜や東南アジアの労働者です。旧日本軍に雇われ、10代のころ建設作業に携わったタイ人のトンさん。

トンさん「多くの捕虜たちが作業中に亡くなった。死体を横切りながら仕事をしなければいけなかった」

密林を切りひらく過酷な現場だったといいます。

トンさん「ゾウを使って大きな丸太を運んだよ」

雨をよける屋根さえない環境で生活を強いられた捕虜たち。最大の恐怖は、コレラでした。

トンさん「(捕虜は)病気にかかったら、長く生きられない。死を待つだけだった」

当時、亡くなった捕虜の多くは20代の若者。東南アジアからの労働者とあわせて、死者はおよそ10万人と言われています。そうした背景から「死の鉄道」とも呼ばれる泰緬鉄道。

その悲惨な過去を伝えるため、カンチャナブリにはいくつもの博物館があります。2003年に建てられたこの博物館だけでも、年間7万5000人ほどが訪れるということです。鉄道の跡などから出土する遺品をあつめ、ひとつひとつ丁寧に展示されています。

「死の鉄道博物館」マネジャー アンドリュー・スノーさん「泰緬鉄道の歴史をできるだけ正確に伝えるために博物館をつくりました」

今では美しい観光地となったこの場所で、何があったのかをしっかりと伝えていく。悲しい過去を繰り返さないための取り組みが行われています。

そのため、反戦の思いを後世につなげようと鉄道の世界遺産への登録を目指す動きもあります。

戦争の悲惨さを刻んだ列車が、75年以上がたったきょうも反戦の思いを乗せて走り続けています。

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