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柏原雅弘(ニューヨーク在住フリービデオグラファー)

【まとめ】

・米・独立記念日、「密」を避けた様々なイベントが開催。

・BLM運動などで破壊行為、商業施設は建築用の合板で店舗を覆う。

・アーティストたちは板張りの通りをアートギャラリーに。

 

先週末の7月4日はアメリカでは最も重要な祝日である「独立記念日」であった。

1776年のこの日、まだイギリスの植民地であったアメリカ大陸東部の13の植民地(のちに「独立13州」と呼ばれる)の代議員からなる大陸会議で、アメリカが植民地支配から脱却する旨の、独立の宣言が採択された。

日本に黒船が来航するより80年近く前の出来事である。

植民地の独立を認めない、宣言以前からのイギリスとの戦争はその後も続き、1783年のパリ条約でイギリスと和平が結ばれるまで実際の独立にはそれから7年かかった。独立宣言直後の戦闘で大陸軍(アメリカ軍)はニューヨークから敗走し、ニューヨークの土地にはイギリス軍が駐留し続けていたのである。

宣言から244年目の今年7月4日。

この日はアメリカに1年を通して最も「祝日らしい祝日」である。

行楽地へ繰り出す人もいれば、家族や友人と楽しむイベントの定番はバーベキューである。

昼からは恒例のホットドックの早食い大会がテレビで全国中継され、下らないと思いながらも見入ってしまう。一緒に見て喜ぶかと思いきや、6歳の息子には不評である。

この大会、内容の軽薄さとは裏腹に、1916年(大正5年)から続く歴史あるイベントである。4人の移民が「愛国心を示すために」ホットドッグの早食い大会を開いたのが起源とされる。以来「愛国心」がキーワードで毎年大会は独立記念日の7月4日に開かれている。

ちなみにだが、2001年の大会ではそれまでの早食い本数の記録を2倍に塗り替え(10分間で50本)日本人が優勝、アメリカ人のど肝を抜いた。2014年からは女子の部で、日系人がずっと優勝している。

夜には各地で打ち上げられる花火大会。中でもニューヨークの花火大会は有名だ。独立記念日、と言えば、この花火大会を指す、と言っても過言ではないかもしれない。この花火大会も独立宣言翌年の1777年から今日まで続く、伝統行事である。

いつもの年なら数十万人の人々が集って盛大な打ち上げ花火を鑑賞するが、今回は、人々が「密」に集まらないよう、独立記念日前の数日に分けて、市内各所の「秘密の場所から」小規模の花火が毎日打ち上げられるという対策が取られた。

独立記念日当日はフィナーレとの謳い文句で、エンパイアステートビルから花火が打ち上げられたが、人がいる市街での打ち上げであったため、大規模なものではなかったものの「エンパイアの花火」にふさわしい華やかな花火であった。

だがそれらの祝賀ムードに水を差すように、ニューヨークではその夜から銃による犯罪が多発、短時間に42件もの人々が銃撃を受け、9人以上が死亡した。

新型コロナの影響で、今年のNYの犯罪率は昨年までと比べ、4月には30%近くの減少という歴史的な変化を見せた。だが、銃犯罪に特化してみると、6月は昨年比で130%の増加(205件)、独立記念日直前までの半月に限ってみると、なんと200%以上も増加(116件)した。銃犯罪が最悪だった1996年の水準であるという。

警官によるミネアポリスの黒人殺害事件以降、この1ヶ月で社会は大きく変化した。

BLM運動に始まる人種差別反対のデモ行進や集会は、社会に蔓延する、他の差別や不公平をあぶり出し、その後、ニューヨークでは主に、過度に暴力的とされる警察の予算削減と改革を求める若者を中心としたグループが市庁舎前広場で「オキュパイ・シティーホール(市庁舎を占拠せよ。現在は「アボリッシュ(警察撤廃)・パーク」と名称変更)」のスローガンとともに座り込みを続けている。

▲写真 市庁舎前広場を占拠する人々 出典:著者撮影

先日、市庁舎前の、その座り込みの現場を通りかかって驚愕した。

テレビで見る以上に、現場は荒廃しているように見え、愕然とした。

市庁舎や、向かい合う裁判所に描かれた大きな落書きやペンキで描かれたスローガンはここまでやっていいものかと思うほど凄まじい。平和的な集会ではあるが、公共の建物に書き殴られたペイントからは平和の文言がかすれて見える。

▲写真 市庁舎前広場 出典:著者撮影

一連の行動のきっかけとなったデモ行進は、初期には暴動に発展するなどして、一般の店舗が破壊、襲撃された。さらに破壊されることを恐れた商業施設などは建築用の合板で店舗のウィンドウを覆うなどして自衛手段を講じた。結果、見渡す限り、通り沿いのほぼ全てが板で覆い尽くされたその風景は異様であった。

だが、これを見てひらめいた人たちがいる。

アーティストたちだ。

アーティストたちは店を覆い尽くしてしまった板張りの通りをキャンバスに見立て、その昔、アーティストの街であったSOHOでは彼らが、ストリートをアートギャラリーに変えてしまった。

▲写真 アーティストによって店舗を覆う板に描かれている作品 出典:著者撮影

描かれたアートは社会的メッセージが込められたもの、美しいもの、悲しいもの、様々だ。アーティストたちは彼らの持つ手段で、彼らしかできない方法で社会の変革に参加した。

▲動画 https://youtu.be/9YZY16de0q0

高級店舗も多いマンハッタン中部(ミッドタウン)などでは、フェイズ3と呼ばれる新たな経済再開の段階に入ったこともあって、板を撤去し、店の営業を再開したところも多いが、小規模な店舗ではまだ再開に漕ぎ着けていない店も多くある。SOHOにはそういう店がまだ多くあり、作品が描かれてから半月近く経つ今でも、まだ多くが残っていた。

彼らの作品にはプロテスターが建物に書き殴る落書きなどによる暴力性もない

▲写真 アーティストによって店舗を覆う板に描かれている作品 出典:著者撮影

SOHOは80年代には野心的なアーティストが集まった街で、今はファッション中心のお店が集まる観光商業地域だ。今だけであっても、この場所にアーティストたちが戻って来た意義は大きい。先が見えない毎日にあって、この先、社会はどの方向に向かっていくのか。一瞬でも目が離せない日々が続く。

▲写真上、トップ写真:アーティストによって店舗を覆う板に描かれている作品 出典:著者撮影

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この記事を書いた人
柏原雅弘ニューヨーク在住フリービデオグラファー

1962年東京生まれ。業務映画制作会社撮影部勤務の後、1989年渡米。日系プロダクション勤務後、1997年に独立。以降フリー。在京各局のバラエティー番組の撮影からスポーツの中継、ニュース、ドキュメンタリーの撮影をこなす。小学生の男児と2歳の女児がいる。

柏原雅弘

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