日本に留学して軍事を学ぶなど、日本と深い関係を持ったことで知られる中国・台湾の政治指導者、蒋介石。共産党と最後まで戦い抜きながら台湾に厳しい統治を敷いたその功罪は、なお世界で熱く論じられ続けている。その蒋介石が、共産党に敗れて台湾へ撤退した後、軍の立て直しに頼ったのが、かつて敵として戦った日本の帝国軍人の参謀たちだった。「白団」と呼ばれた秘密の軍事顧問団の真相解明に挑んだノンフィクション作品だ。

蒋介石像の偶像

 加筆され文庫になった本書(原題:『ラストバタリオン 蒋介石と日本軍人たち』)を、夏の初めに手に取った。中華民国の総統だった蒋介石(1887~1975)の、自信に満ちた壮年期の写真が表紙を飾っている。それを眺めながら、今は亡き母と25年ほど前に巡った台湾旅行のひとコマを思い出した。

 あの当時は、まだ台湾各地に権威主義体制のシンボルだった蒋介石像が建っていた。駅前のロータリーや公園や校庭や公共施設の前、そうかと思うと観光地の付近などにもあってとにかく目立つ。仁王立ちした石像があるかと思えば思索顔の胸像や笑い顔の座像もあり、そのデザインもさまざまだった。

 ある場所で、台座に「永遠的領袖」(永遠の指導者)と彫り込んである像に遭遇した。案内役の日本語世代のお年寄りがぼそっと言う。
「私ら、あんまりいい思い出はありませんな」
すると、像を見上げていた母が一種の感慨を込めて言った。
「そうでいらっしゃいますの・・・・・・。蒋介石は立派な方だと、ずいぶん教え込まれましたのよ。昨日までの敵には徳をもって接し、怨みで報復してはいけないと中国の人たちに呼びかけて下さったって」

 1945年8月14日、終戦の前日に蒋介石が行った演説に、敗戦国日本の処遇に寛大であれと呼びかけた下りが含まれていたために、『以徳報怨』(徳を以て怨みに報いる)という四文字熟語が日本全国に広まり、彼の大恩を忘れぬためにと各地に顕彰碑や蒋介石を祀る神社まで建てられた。戦前生まれの母とガイド氏は年齢が同じくらいなのに、蒋介石に対する印象は違うものだったので、二人の反応はとても興味深かった。


千葉県いすみ市の蒋介石顕彰碑(撮影・野嶋剛)

 ひるがえって今時の日本人はどうだろう。おそらく蒋介石については特別関心もなければ知識もない。ましてや、蒋介石が率いる国民党軍の軍事顧問として、1958年の金門砲戦などでめざましい活躍をした日本の元参謀集団がいたなんて、想像もつかないのではないだろうか。

空白の戦後史がつぶさにわかる

 本書には、私たちの知らない日中台戦後史の空白の部分が生々しい筆致で描かれている。共産党軍との戦いに敗れて台湾へ逃れた蒋介石が、どのように日本の元軍人を集めて参謀集団「白団」を組織し、国民党軍の再教育や国家の安定を画策したかをあぶりだす。

 序章に、コードネーム「賀公吉」を持つ98歳の元大日本帝国軍人が登場し、(本文によると)“相手に本音を容易につかませない。核心に近づこうとしてものらりくらりと交わされてしまう”といった対応ながら、太平洋戦争の体験や1949年に国民党軍の参謀としてスカウトされた経緯を著者に語る。その様子は、これから始まる謎の白団の物語を十分に予感させる。スリリングな構成だ。

 読者ならずとも知りたいのは以下の点だろう。
①共産党から祖国を奪還するという“反攻大陸”を誓い、国民党軍の再教育と軍事強化を最重要課題とした蒋介石は、なぜそのミッションを日本人に託したのか?
②日中戦争と太平洋戦争を戦い抜いた大日本帝国のエリート軍人たちは、どんな決意をもって、またどのようにして宿敵だった蒋介石のもとへ集まったのか?
③戒厳令下の台湾における白団の、具体的な役割と歴史的な意義はどういうものだったのか?

 これらの真相は本書を読んでのお楽しみとして、ここではすべての制度や価値観が大きく変わった「戦後」という時代に少し触れたい。

帝国軍人組織を利用

 敗戦国となった日本に対し、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)がまず命令したのは国家主義者や職業軍人や植民地の行政官など、“好ましくない人物”、を公職から追放することだった。1946年に追放令が出ておよそ20万人が対象になったものの、数年も経たぬうちに徐々に処分は解除された。つまり、“好ましくない人物”たちの人脈や頭脳や情報力は、水面下で日本社会を支え続けたのである。

 一方、蒋介石が治める台湾や李承晩政権の韓国を、アメリカは東アジアにおける反共の砦とみなして援助。蒋介石は疲弊した国民党軍を立て直すために、自身も留学して軍人精神や戦法など多くを学び、後に中国で戦ってその実力を知る大日本帝国の軍人組織を利用することを思い立った。

 ごく限られた軍の裏方が奔走して、日本全国から優れた参謀たちを台湾へ送りこんだわけだが、秘密裡に結成された白団の裏にはGHQと旧陸軍参謀の中心人物だった岡村寧次(おかむらやすじ、1884~1966)と蒋介石との反共ネットワークがあったという。
 こうして集められたメンバーの多くは、1969年に東京での解散式を終えるまで、長い間忠誠心と使命感をもって任務を遂行し、中華民国政権の安定に貢献したのだった。

粘り強い取材の成果

 著者が知られざる日中台の戦後史に切り込めたのは、果敢に取材を進める“突破力”によるところが大きい。台湾政府の高官、日本の陸軍関係筋、各国の蒋介石研究者、生存するメンバーのもとへ足を運び言質をとる。さらにアメリカのカリフォルニア州スタンフォード大学内にある通称フーバー研究所が保存する蒋介石の膨大な日記や、台湾の国防大学に眠る軍事資料にもあたって事実を確かめる。足かけ七年にわたる取材は苦労の連続だったろうが、同時にエキサイティングな体験だったに違いない。同じノンフィクションを書く身としてうらやましい限りだ。

蒋介石日記の一ページ(フーバー研究所提供)
蒋介石日記の一ページ(フーバー研究所提供)

 私は本書から多くの啓発を受けたが、印象的だったのは白団メンバーたちが、長きにわたって中華民国に居残った理由だ。『以徳報怨』を胸に刻んで働いたとはいえ、蒋介石の掲げる大陸反攻計画にパラダイムシフトが起きていることは十分承知していたはず。それでもなお彼らは幻の作戦を練り続け、蒋介石に忠誠を尽くした。その理由を著者は「彼らは帰りたくなかったのだ」と結論づける。

 このあまりにも人間くさいひとことに私は納得する。彼らは厚遇を受けながら軍人としてのプライドを保ち続けることができたし尊敬も集められた。もし戦後の日本で第二の人生を始めていたら、それこそ公職追放されひっそりと生きていただろう。私が東南アジア各国で出会った元日本兵、すなわちインドネシア独立軍に参戦した者やインパール作戦の逃避行中にタイやミャンマーに残留した兵隊たちも、白団のメンバー同様に「帰りたくなかった」のだと思う。彼らもそれぞれの国で必要とされている自分に気づき、異国に終(つい)の居場所を見つけた。

 ところで台湾では2017年に権威主義の一掃を目指す法案が可決され、各地の蒋介石像は次々に姿を消した。白団が貢献した1950年代、60年代の中華民国体制と、民主化が劇的に進んだ現在の台湾では、人々の意識も社会も大きく変わっている。また、台湾海峡の安定と平和を巡る論議は民主主義の価値を共有する国々の間で広がりを見せ、台湾情勢は、日本はもとよりアジアの安全保障、ひいては世界の繁栄にも大きく影響する事案になっている。

 そうした状況において、中国、日本、台湾の戦後史に登場する白団を検証する意味は大きい。本書は日本と台湾の未来を知る上でも欠かせない一冊だと思う。

「蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相」

野嶋剛(著)
発行:筑摩書房
文庫:487ページ
価格:1540円(税込み)
発行日:2021年6月14日
ISBN: 978-4480437440

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