質素の極限はSEXYだ(2020.9.18 操上和美)

■私は大坂なおみさんの「私はアスリートである前に、一人の黒人女性です」という発言を断固支持します。日本国籍を持つ混血のアスリートや芸能人が差別問題などについての政治的発言をした時に、その行為を批判する人たちが使う”日本人らしさ”とか”日本人感”といった言葉に強い違和感を覚える。

今はあまり使われなくなったが、”日本人ばなれした”という表現がある。私が若い頃は”日本人ばなれしたスタイルの良さ”とか”日本人ばなれした運動神経”などというように一種の褒め言葉として使われていた。それと同質のジメジメした劣等感が使う人の心に潜んでいるからだ。

■9月13日、大坂なおみ選手は2度目の全米オープン優勝を果たした。

おめでとうございます!!

■私は日本人であることに誇りを持っているし、日本が心の底から好きである。特に秋の日の昼下がり、蕎麦屋で蕎麦味噌をなめて、菊正宗のぬる燗をゆっくりと楽しんでからモリ蕎麦を手繰ったりしていると、「この良さは日本人にしか分かるまい」などとしみじみ思う。蕎麦味噌とモリ蕎麦に1合ばかりの酒、そこには表面上のゴージャスさは何もない。質素だ。しかし、極限までに削ぎ落とされた美しさがあり、この美しさは外国の人には理解し難いかもしれない。

勿論、日本人だってそれを良しと感じない人もいる。今や日本を象徴する食い物は、外国人観光客にも人気の肉、野菜マシマシのコッテリ系ラーメンであるという人もいるだろう。要するに日本らしさはいくつもある。そして私は、江戸のストリート文化を洗練させた美意識に執着するオールド・スクールである。それだけのことだ。

■一人で訪れることが多い蕎麦屋では、大抵6人がけ位のテーブルで相席になる。以前、ある蕎麦屋で案内された席に座ったら、前では、ツィードのハンチングを被り、ベージュの薄手のタートルネック・セーターに同系色のスウィングトップ・スタイルのブルゾンを羽織った、江戸前の風情を漂わせる小粋な老人が塩雲丹をツマミに銚子を傾けていた。隣は30代と思われる男女、女が一方的にしゃべり、男は終始無言で、コップ酒をあおっている。嫌でも話は聞こえてくる。どうやら不倫カップルらしい。

女は、「今日、この店を出たら、別れるか、貴方が今ここで奥さんに電話して離婚を告げるか、道は二つに一つしかない」という話を大声で延々としている。別に知りたくもないその男の奥さんの名前は今でも覚えている。やがて結論は出ぬままにカップルは席を立った。男の足もとはフラついていた。

残された私と老人は黙って酒を飲み続ける。当然、老人の耳にも女の話は聞こえていた筈だ。しばらくして老人はカケ蕎麦を注文し、食べ終わるとサッと勘定を済ませ私に向かって、「悪い酒になっちまったな」と言ってニヤリと笑った。

カッコイイ人だなと思った。老人の一言で何か一寸した短編小説を読んだような気になって、気分が良くなった。私はあのカップルは今もズルズルと不倫を続け、どこかの蕎麦屋で同じ話をしていると確信している。

■レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウ・シリーズに『湖中の女』という作品がある。複雑だがよくできたミステリーだ。この小説の中に、ジム・パットンという山奥の別荘地で保安官代理を務める老人が出てくる。

ジムは善良な、腹の突き出た大男で、次の保安官選挙で再選されないかもしれないという不安から、クルマのフロントグラスに「有権者諸君に告ぐ! ジム・パットンを警官の職にとどめよ。他の仕事を見つけるには年をとりすぎている」と書かれたカードを貼りつけている。まぁ、善良な田舎者で頼りにはなりそうもないキャラで登場する。

しかし、物語の大詰めでジムは、若く銃の腕前に自信満々な悪徳警官との早撃ち勝負にアッサリと勝って相手の銃を吹き飛ばす。殺しはしない。そして言う台詞が、「私のような人間に機会を与えちゃいけない。私はお前さんが生きてきた年月よりずっと長く拳銃を撃ってるんだ」。

胸のすく場面だ。私はずっとジムというキャラが大好きだったが、最近この小説を読み返してみて少し違う感情を抱いた。多分、ジムは今もなお多くのアメリカ人が最も愛する身近なヒーローであり、言ってしまえばオルタナ右翼たちの理想像ではないか? ジムはアメリカ人が決して銃を手離そうとしない理由を煮詰めたような男だと感じたのだ。

ドナルド・トランプは数多くのジムたちに囁く。「ホラ、リベラルたちが君の人生を無価値なものにしようと企んでいるぞ」と。複雑な思いである。世界の分断はこんな所にも影響を及ぼしている……。

■9月13日の時点で次期総理大臣の最有力候補とされている人が「自助  共助  公助」をキャッチフレーズにしている。私は悪夢を見た。それはテレビのニュースでベビーカーを押した主婦がインタビューに答えているものだ。主婦は笑顔で語る。

「ハイ、家族の安全を考えれば仕方がないです。私も子供の送り迎えの時とか不安ですから、S&W M&Pシールドを買いました。女性にも扱いやすいとテレビで言っていたので。自分の身を自分で守るのは国民の義務ですから」

主婦はニッコリ笑うとベビーカーから銃を取り出しカメラに向けて撃つ。轟音。砕けるレンズ。ブラックアウト。「扱い方を間違えなければ、銃は特に危険なものであるという指摘は当たらない」と言う声だけが響く……。

かわけ・しゅんさく | 演出家/映画監督。メガホンをとったフジテレビの十三代目市川團十郎白猿襲名記念特別企画「桶狭間」の放送は、2021年に延期に。

くりがみ・かずみ | 写真家。北海道生まれ。1965年よりフリーで活動。現在も一線で活躍し、受賞歴多数。

Words by河毛俊作 
Photograph by操上和美

クレジットソースリンク