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みなさんは、徳川幕府第11代将軍と聞いて、すぐにその名前を思い出せますか?幕府を開いた初代将軍・徳川家康や、生類憐みの令を出した5代将軍・徳川綱吉などと比べると、歴史上では少し影が薄いかもしれません。

しかし、11代将軍の徳川家斉(とくがわいえなり)は、とあることでとても有名なんです!それは、彼の夜の生活の派手さ!

今回は、性にまつわる数々の伝説を持つ徳川家斉をご紹介します!

徳川家斉とは?

徳川家斉

徳川家斉は、江戸幕府の第11代将軍です。1786年(天明6年)に第10代将軍徳川家治(とくがわいえはる)が亡くなると、家斉は15歳という若さで将軍の座につきました。

ちなみに、家斉は御三卿のひとつである一橋家の出身です。当時幕府で老中の役割をつとめていた田沼意次(たぬまおきつぐ)と一橋家の画策により、第10代将軍徳川家治の養子となりました。

なお、彼は将軍職に50年間就き、これは、徳川幕府最長の将軍在任期間となっています。

例を見ないほどの女好き!?

徳川家斉は、その側室の多さ、子どもの多さが何よりも有名です。

当時は、世継ぎを残すことが重要だったため、多くの将軍が正室以外に側室を持っていましたが、家斉はなんとわかっているだけで16人の側室を持ちました。

そして、男子26人、女子27人、合計53人の子どもをもうけました。

精力強化に熱心!?

多くの側室を持っていた家斉ですが、夜の生活を楽しむためか、自身の性力増強に熱心だったといいます。生姜汁を毎日飲んでいたそうです。そして、オットセイの陰茎を刻み、すりつぶし、乾燥させたものを飲んでいたとも伝えられています。そしてその習慣から、「オットセイ将軍」なんて呼ばれていたとか。ちなみに、これらを服用していたからかどうかはわかりませんが、家斉は健康だったようで、在位50年のあいだに、大きな病気はしなかったそうです。

ラブホテルの原型をつくった!?

もうひとつ、性に関して、家斉の驚くべき伝説が残っています。それは、「全面鏡張り」の部屋をつくったと伝えられていることです。

大奥の一間を自分の好みに合わせて改造し、夜の生活を楽しんだのではないかと言われています。当時の技術はまだ鏡張りの技術が発達していなかったことから、どのようにその部屋をつくったのかは明らかになっていませんが、もし本当であれば、まさにラブホテルの原型といっても過言ではないのではないでしょうか。

いかがでしたか?日本史上では他の将軍と比べやや影の薄い徳川家斉ですが、とんでもない、驚くべき「性豪」だったことがわかるのではないでしょうか。

今後の研究で、また新たな家斉の「夜の伝説」が明らかになるかもしれませんね。


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