/巨人たちの足元で浮かれ騒ぐキリギリスのように、賑やかな有名店、華やかな有名企業で働いて、歌って踊って絵を画いて、それでなにか楽しげに仕事をして、毎日を謳歌しているように思えるかもしれないが、きみはやりがいを搾取されるだけ、神輿を担がされるだけ、ブームが終われば棄てられるだけ。/

ある飲食店チェーンが評判が良く、創業者オーナーは早々にその経営権を大手商社に売却し、巨万の富を得た。さて、この利益は、どこから出てきたのか。

今般、このコロナ騒ぎでひどい痛手を被ったのは、飲食・観光・娯楽に携わる人々。いわゆる「第三次産業」だ。もっとも、これは、第一次の農林漁業、第二次の建設製造業のほかのすべてであり、詳細の分類は難しい。たとえば、同じ商業でも、スーパーのような生活必需品もあれば、デパートのような高級奢侈品、国際商社のような素材貿易品も含んでいる。いずれにせよ、日本などの先進国では、全就業者の7割が、もはやこの第三次産業に従事している。

この中で、飲食・観光・娯楽は、とくにモノよりコトとしての付加価値性に依存している。つまり、実体よりブランドに価値がある。たとえば、おせちなんて、中身はどれでも同じようなものだが、有名どこそこホテルの料理長の名が出ているものを買った、というところに、顕示的な満足感がある。そして、原材料や労働力などの原価が標準的であれば、やたら利幅がでかいが、それは料理長、いや、料理長の肩書を与えてやっているホテルの総取りになる。

これを問題にしたのが、百七十年も前のマルクス。原価と売価に大きな差があるのは、労働力そのものの価格よりも、労働が作り出す価値の方が高いからだ。この「剰余価値」を連中が掠め取っている! と。しかし、言うまでもなく、じゃあ、バイトたちが同じモノを作ったら、同じ価格で売れるのか、と言ったら、ぜったいに売れない。というのも、その料理長やホテルにこそ、「ネームバリュー」があるからだ。しかし、そのネームバリュー、ブランドは、どこからどうやってできてくるのか。

料理長やホテルの「監修」とは何か。それは、企画発意と完成責任。もちろん、そこには資金調達とリスクテイクという負担はあるだろう。だが、それは、ひとむかし前の、金融資本主義の残滓のようなものだ。実際の商品そのものの味と品質は、ひとつひとつを作るバイトたちの腕次第。しかし、彼らは、ワークフォアハイヤー(職務製作、WFH)にすぎず、名も無き彼らが、巨額のネームバリューの利益の恩恵にあずかることは無い。にもかかわらず、この不景気に仕事がもらえただけでもありがたい、などと、小躍りして喜ぶ。

これが、娯楽、エンターテイメントとなると、さらにマルクスさえ想像しなかったようなことが生じる。たとえば、アニメ映画。制作費はギリギリ。WFHの連中のギャラを積算すると、剰余価値どころか、むしろ赤字にさえなりかねない。それでも、なぜ出版社やテレビ局はそれを作りたがるのか、というと、そこに権利、著作権、というより、もっと大きな「のれん(グッドウィル)代」(営業権)、ブランドが発生するから。キャラクターグッズやメディア展開、さらにはテーマパークまで。こんな権利、持っていても維持費用がいらず、いくら展開しても追加費用がいらない超掛け算商法。

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純丘曜彰 教授博士

大阪芸術大学 哲学教授

美術博士(東京藝大)、文学修士(東大)。東大卒。テレビ朝日ブレーン として『朝まで生テレビ!』を立ち上げ、東海大学総合経営学部准教授、グーテンベルク大学メディア学部客員教授などを経て現職。


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